理論事始

 そろそろやって参りました。卒論の季節。

 去年始めた「翻訳ゼミ」の一期生が今年は卒論として翻訳作品を出してきて、ここ二日はその添削に埋もれる。

 そこで起きる現象はおもしろい。英語読解力はまちまちなのだが、それより日本語能力がはるかに重要であることがよく分かる。誤訳だらけなのは仕方ないとしても、分からないなりに通して読める文章にしてくる学生と、ほとんどアヴァンギャルドなナンセンス詩か小説のようになる学生。

 予告しているように、翻訳ゼミは今年でおしまい。来年からはアダプテーションゼミ。

 さかのぼって昨日は大学院の授業。10月も後半だが実質一回目。批評理論。思いっきり教科書的に、

Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (Beginnings)

Beginning Theory: An Introduction to Literary and Cultural Theory (Beginnings)

これを使っており、まずは「リベラル・ヒューマニズム」から。

 日頃「英語の先生」をやっていると、専門の授業は非常に楽しくなっちゃって、走り始める。英文学の始まりというのは、この本に書いてあるのとは違ってインドやスコットランドでの「伝統の創造」という側面もあったんですよ、とか、エンプソンといえば東京駅のステーションホテルで、とか、リーヴィスはこのようにまとめられているけど実際はニュー・レフトへの影響もあって、とか。リベラル・ヒューマニズムへの批判もここまでくるとちょっとクリシェで、啓蒙主義以来の偉大なる伝統をなめちゃいかんよねえ、とか、でも、私の知ってる先生でもこの教科書みたいな、大阪のおばちゃんなら「マンガやわ」とでも言いそうな典型的リベラル・ヒューマニストって、いるんですよ、詳細は『現代批評理論のすべて』のコラムを読んでね、とか。いきなり走りすぎたかな。自重、自重。