批評の系譜学

 昨日は勤め先での講演会、大田信良氏による「冷戦期米国批評理論とEdward W. Said――ドライサーかジェイムズかの文学史を、トランスアトランティックに、見直すために」。

 北米の「批評理論の系譜」を引きなおす試み。批評理論の教科書的にはサイードは「ポストコロニアル批評」として突然現れるし、ジェイムソンはマルクス主義と(ポスト)構造主義の伝統の上に登場するわけだが、北米での系譜に限定して考えたときに、そのような教科書的ナラティヴから排除されるものが浮かび上がってくる。

 副題にあるドライサーかジェイムズか、というのは、要するに社会主義リアリズムかモダニズムか、ということであり、キーパーソンのライオネル・トリリングは後者とリベラル・ヒューマニズムを接続しつつ持ち上げ、ヘゲモニーを確立した。前者の系譜は、マッカーシズムによって消滅。

 サイードはそのような状況において批評を始める。『オリエンタリズム』におけるトリリングの不在を執拗に「読む」行為によって浮かび上がるのは、サイードが上記の「ジェイムズ─リベラル・モダニズム─トリリング」の系譜と単純に断絶していたのではなく、むしろこの逃れがたい圏域との交渉を行いつつ批評活動をしていたということ。(で、コンラッドが「ドライサーかジェイムズか」のあいだのヴァイタル・センターとしてサイードでもジェイムソンでも現れる、と。)

 全体として、サイードをはじめとする批評家たちがいかなる制約のもので活動したのかということを、上記のような系譜をたどって記述することによって、むしろかれらの「可能性の中心」を抉り直そうとする試みと見た。

 司会のM浦さんが例の調子で、「ドライサーはもう、最初から『なし』なのね」と介入していたが、おそらく昨日の話は、「ドライサーがなし」になってしまった状況といかに交渉していくか、ということだったのだと思う。漸進主義でダメ、と言われればそれまでだが。その点、ルカーチの存在が存外重要になってくるだろう。サイードにとってもジェイムソンにとってもルカーチは重要だが、その際のルカーチとは「西欧マルクス主義」という形で、飲みこみやすくされたルカーチ(その際のキーテクストは『小説の理論』)であって、「ドライサーが『なし』になった北米」でルカーチが受容可能であるのは、それが理由なのだ。そうすると、サイードの「移動する理論」の重要性が突出してくる……。*1

 とか考えながら、最近いっぱいしゃべったのでしゃべることが億劫になり、質問はせず。すんません。

*1:そうそう、講演のハンドアウトの「第0節」には、「ドライサーかジェイムズか」が日本の英文学会で「再戦」されているさまが、大胆な引用とともに示されていて、今回の講演はアメリカ文学会の前哨戦らしいのだが、この部分はぜひ残して発表していただきたいと思った。「二人の村山」とかいって。