男性性と障害〜『君と宇宙を歩くために』

マンガ大賞2024は泥ノ田犬彦さんの『君と宇宙を歩くために』が受賞しました。おめでとうございます。

このマンガは、現代の男性性を考える上でとても重要な作品だと感じています。行動をすべて、彼が「テザー」(宇宙遊泳の際の命綱)と呼ぶノートにメモしておかないと、うまく新たな事態に対処できない転校生の宇野くんと、不良なのだけれども、勉強もバイトもうまくできない(濃淡はあれ、宇野くんと似た性質を持っているかもしれない)小林くんとの友情の物語。

この二人は明らかに、今であればなんらかの病名がつく人たちなのですが、作品の中ではその病名が名指されないことが重要かもしれません。「障害disablity」というものは英語であればあくまでdis-abilityであって、しかもそこにはグラデーションというものがあり、社会が何を「能力ability」で何を「非能力disability」と規定するかという問題がからんでくる、ということを、障害を病名で名指ししないことで手放さずに表現している、とでもいいましょうか。

拙著『新しい声を聞くぼくたち』(講談社)の重要なポイントはそこでした。現代の男性性を考える時に、「障害」が有効な視座になるのですが、それは上記のように、障害というものが現代における能力主義のあり方をあぶり出すものだからです。何が障害で何が健常であるかという線引きは、社会によって構築されているところがある。「男性らしい」能力もまたそうです。

拙著では、奇しくも同じくマンガ大賞を受賞した『ブルーピリオド』をその観点からまあまあ詳しく論じました。

さて、『君と宇宙を歩くために』ですが、この作品が(今のところ)すばらしいのは、まず、スーパークリップ的なものに陥っていないことです。スーパークリップというのは、障害があるにも関わらず努力などで並はずれた能力を発揮する、もしくは障害があるゆえにそういった能力を発揮する人のことです。障害(者)を主題にすると、まずこれに陥りがちです。障害のロマン化と言ってもいいでしょう。

この作品は、病名をあくまで名指さないということもそうですが、あくまで二人が「ふつうの日常」をどう過ごしていくのかということに焦点を当てていることで、スーパークリップの罠に陥らずに済んでいると思います。

そしてなんと言っても、そのような障害のモチーフを通じて、どうやって弱さを認め、弱さと共に生きていくのかという、現在の男性性をめぐる大きな問いをこの作品は追究します。多かれ少なかれ、「本当の現実」と比較すれば理想的な解決がもたらされることもあるかもしれませんが、そこはフィクションにしか表現できないユートピアとしてとらえたいように感じています。続刊が楽しみです。