『終わらないフェミニズム──「働く」女たちの言葉と欲望』

 結局サバティカルの一年間はブログに近寄らずじまいになってしまいました。ですが、そのサバティカル期間の最後に重要な編著が出版されましたので告知です。

終わらないフェミニズム −−「働く」女たちの言葉と欲望

終わらないフェミニズム −−「働く」女たちの言葉と欲望

 日本ヴァージニア・ウルフ協会の出版企画ということですが、ウルフという作家についての論集というよりは、今回は思い切りテーマを絞りました。それは、ポストフェミニズムから(勃興的な)第三波フェミニズムへ向かう現在の視点から20世紀のフェミニズムを振り返って再読しようというものです。詳しくはまずは「はじめに」を読んでいただきたいところですが、フェミニズム文学(理)論だけではなく、広くフェミニズムについての問題提起を行うことを目指した書物です。

第24回Third-Wave Feminism読書会/第46回新自由主義研究会

 告知でございます。

第24回 Third-Wave Feminism 読書会

会場: お茶の水女子大学 文教育学部1号館 716号室
日時: 2015年8月10日 16:00〜
課題図書: 越智博美・河野真太郎編著『ジェンダーにおける
       「承認」と「再分配」――格差、文化、イスラーム
       彩流社、2015年。
報告者: 丹羽敦子、山口菜穂子、大理奈穂子、岩瀬由佳、
      松永典子 (敬称略、報告順)

第46回新自由主義研究会

日時:2015年8月23日 16:00〜
場所:一橋大学国際研究館5階ゼミ室2
課題図書:二宮元『福祉国家新自由主義――イギリス現代国家の構造とその再編』(旬報社、2014)
担当:西

今回は二宮元『福祉国家新自由主義』を読みます。本書は、新自由主義福祉国家への批判とその解体とする従来的な見方を批判的に検討することをその主眼の一つとしています。この見方を採用してしまうと、「小さな政府」との表現に端的にみられるように、新自由主義市場原理主義と大きく変わらないものとされてしまうわけですが、しかし、イギリスを対象として見た場合、これでは「実際にはサッチャーらの改革は福祉国家の調整程度にとどまった」との結論に向かうことが多く、それらが社会全体にもたらしたインパクトを正確にとらえることができません。また、この議論枠ではイギリスにおいて新保守主義と呼ばれる潮流がなぜ新自由主義に先んじて台頭したのか、という問いについても答えることができません。新自由主義の文化とその系譜をたどることを主たる眼目とする本研究会にとって、新保守主義の台頭を整理することは非常に重要な作業となります。本書はイギリス戦後コンセンサス政治の分析を通して、福祉国家と寛容な社会という戦後社会統合構造の二本柱を明らかにしていきます。新自由主義新保守主義はこれらにそれぞれ対応する形で台頭したものであり、決して予定調和的な補完的関係でなかったことが明らかとなります。時に影響し合い、時に対立もする両者の関係を実際の政治と制度の変遷において整理する本書の議論を通じて、新自由主義の文化論をさらに深める機会にできればと思います。どうぞ、ふるってご参加ください。

2015年度第2回 レイモンド・ウィリアムズ研究会

 告知でございます。今回は、会場への入館のために登録が必要となりますので、事前にご連絡ください。

2015年度 第2回レイモンド・ウィリアムズ研究会
開催日時:7月19日(日)
場所:関西学院大学東京丸の内サテライトキャンパス、テレビ会議
(東京都千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー10階)
http://www.kwansei.ac.jp/pr/pr_000553.html
http://www.kwansei.ac.jp/pr/attached/4720_41147_ref.pdf (←PDFです)


時間:(開場:10:00) 開始:10:15~ 


プログラム(解題担当者の敬称略)
10:15- 1.Second Generation読書会 
  Part Three (pp.213-347)最後まで
   解題担当:川端


12:15-13:00 お昼休憩&懇談
(お昼休みの前後どちらかで懇談の時間を設けたいと思います)


13:00- 2.Marxism and Literature読書会
3. Literary Theory
3.1. The Multiplicity of Writing
3.2. Aesthetic and Other Situations
3.3 From Medium to Social Practices
3.4. Signs and Notations
3.5. Conventions
   解題担当:3.1., 3.2., 3.3.:大貫
          3.4., 3.5., :三村

UKビザ取得顛末

 かなり苦労しましたが、ビザをようやく取得しました。

 同業者の多くはビザを取っているはずなのだけど、ネットでも意外とまとまった情報は少なく、また、身近な知り合いに聞いても、取って数年してしまえばみんな細かいことは忘れてしまっている。また、制度自体もどんどん変わっている。さらには、問い合わせ先に問い合わせてもろくな返事は返ってこない。本当に五里霧中で手探りという感じでした。

 で、この後ビザをとる同業者の参考になればと思い、ひととおりまとめておきます。

 あくまで、私の場合はこれで取得できたという事例です。これを読んで申請し、不利益を被っても、あしからず、です。


*カテゴリー
 まず、どのカテゴリーで申請するか。ここから躓きました。私の場合、ちょうど一年、フェローとして滞在する(現地で収入はない)ので、Academic Visitorが正解でした。これは一年だけで、他のみなさんのブログを見ると、更新はまず不可能とのこと。ですから一年以上の場合は、就労ビザのTier 5を取ることになるはずです。(結果的に、Academic Visitorのビザは一年と一日滞在できるものでした。)ともかくも、Tier 5の方は申し訳ありませんが他をあたってください。

 私は家族(配偶者と子供二人)も一緒に行くので、家族はAdademic Visitor Dependantというカテゴリーを選びます。この後紹介するサイトで、全員分の申請書を作成します。


*申請書
 下記のサイトで、アカウントを作って、申請書の作成をします。

https://www.visa4uk.fco.gov.uk/home/welcome

 上記の通り、私本人はAcademic Visitor、家族はそのDependantで全員分の申請書を作成します。

 いくつか記入で迷った点。

(1)住所はまだ決まっていないので、所属する大学の住所を記入しておきました。後で述べるBRP (Biometric Residence Permit)を受け取る郵便局は、大学の最寄りにしておきました。

(2)扶養家族分の申請書にもAcademic Detailsというセクションがあり、「専門は何ですか?」とかいう間抜けな質問がある。すべての欄を埋めないと先に進めないので、そこにはN/Aを記入、最後の自由記入欄でその理由(扶養家族なので専門などない、ということ)を記入しました。

(3)収入や生活費の欄。このビザは要するに、「私はイギリスで働いたり、公的資金をもらったりしませんよ」ということを証明するものです。なので、日本国内にちゃんと収入源があり、滞在のための資金があることを証明する必要があります。申請書の収入などの欄は、一応、この後述べる、大学から出してもらった収入の証明書と同じ額を書きこみ、滞在費用については概算で記入しました。

 全部記入したら、submitをし、declarationにサインをし、後述のBRPの受け取り郵便局を指定し、費用をクレジットカードで支払って(一人31,500円!)、申請の日時を予約します。申請については後述。


*BRP
 私が現在手にしているビザは、到着してから一ヶ月分しか有効ではありません。一年分の本チャンのビザ(Biometric Residence Permit)は、イギリスに到着してから10日以内に、指定しておいた郵便局に取りに行くことになります。詳しくは下記を。

https://www.gov.uk/biometric-residence-permits/overview


*提出書類
 必要な書類を確定するのに、大変苦労しました。私が提出したのは下記の書類です。不必要なものも混ざっているのかもしれませんが、とりあえずこれだけでビザが出たことは事実です。

・全員の写真一枚ずつ(写真の規程については下記サイトを。日本のパスポートとちょっと違うので注意です。背景はブルーなどではダメ、とか。)
https://www.gov.uk/photos-for-passports
・全員のパスポート(過去のパスポートも含む。紛失している場合は、申請書にその旨書けばOK。原本とコピー)
・受け入れ先の大学の、フェローとしての受け入れ証明書(原本とコピー)
・勤務先の大学から出してもらった、英文の証明書。(1)在職していること(2)年収(3)一年サバティカルに出すこと(4)大学から出る渡航・滞在費用額、を、一枚の証明書にまとめたもの。(原本とコピー)
・戸籍謄本の日本語原本と英文翻訳。(業者に依頼。翻訳証明書つき。原本とコピ−)
・メインバンクの過去三ヶ月のステートメントの日本語原本と翻訳。(私のメインバンクは預金通帳がないので、銀行に連絡して三ヶ月分の取引明細を送ってもらいました。それを業者に依頼して翻訳。翻訳証明書つき。原本とコピー)
・メインバンクの英文残高証明書。(これは銀行が英文で出してくれた。必要だったかどうかは謎。ともかくも、口座明細と同様、「お金あるよ、働かないよ」ということを証明するためです。)
・申請書のプリントアウト(最初の方と最後の方、二カ所に署名。)

 コピーを添付した書類はパスポートと一緒に返ってきます。


*申請
 電子申請の最後に予約した日時に、UK Visa Application Centreに、書類一式を持って家族全員で行きました。念のため、申請書はスペアもプリントアウトして。申請センターは大使館とは別組織です。日本では東京と大阪。場所は下記の通りです。

http://www.vfsglobal.co.uk/japan/japanese/applicationcentre.html#1

 荷物チェックや身体検査を受けてセンター内へ。番号札で呼ばれて書類を提出。ビザが発給された際には郵送してくれるサーヴィスもありますが高い(一人二千円弱)ので、取りに来ることを選択。

 基本的に、ここで書類について質問しても答えてくれません。全ての判断はマニラの大使館でする、と。まあでも、そうは言っても窓口の人は何も知らないわけではないので、ある程度の「探り」を入れることは可能でした。

 書類を提出した後は、別室で一人ずつ写真(監視カメラの角度と、正面から)を取り、指紋を採取。子供は付き添いできました。


*審査
 パスポートも含めた書類一式はマニラに送られます。審査が終わったら登録したメールアドレスにメールが届くとのことでしたが、私は土日も含めてちょうど二週間でそのメールが来ました。ただし、そのメールの文面が、'A decision has been made on your Visa application...'などという形で、ビザが無事発給されたどうかは伝えない内容。最初はリジェクトされたのかとドッキリしました。結局、取りに行ってパスポートを開くまでは発給されたかどうかは分からないわけです。

 メールがあった翌日、12:30から13:30の間に(有料サーヴィスを使うともっと時間に幅があります)センターに取りに行き、ドキドキしながらパスポートを開いてみると、無事ビザが貼り付けてありました。


 という感じで、こうまとめてみると簡単に見えるかもしれませんが、情報を拾い集めながらここまでたどり着くのは大変な苦労でございました。

表象文化論学会パネル「「芸術家的批判」の再興に向けて」

 昨日は表象文化論学会のパネル「「芸術家的批判」の再興に向けて」で、コメンテイターをつとめさせていただきました。三人のペーパーはそれぞれに濃密で面白く、意義深いものでした。コメントをする作業は知的な興奮に満ちたものになりました。

 で、そのコメント、たぶんどこでも活字化されることはないと思うので、ここに原稿を再録しておきます。今回は大体原稿の通りに話したと思います。

表象文化論学会
パネル「「芸術家的批判」の再興に向けて」コメント
河野真太郎


 本パネルは、リュック・ボルタンスキーとエヴ・シャペロの区分する「社会的批判」と「芸術家的批判」のうち、新自由主義体制への取り込みを受け、さらには新自由主義体制を生み出す力となってしまったかに見える「芸術家的批判」をいかにして再興するか、ということを大きなテーマとして掲げています。
 三本のペーパーを聞いた上で、そのようなテーマに対するこのパネルの結論を一行で述べるならこうなるでしょう。すなわち、芸術家的批判の再興のためには、われわれは、労働を労働として取り戻さなければならない、それも、疎外された苦役としての労働を取り戻さなければならない、ということです。これは、逆説的な結論です。というのも、労働の問題は「社会的批判」に属するものであり、つまり「芸術家的批判」を再興するためには、結局社会的批判を徹底しなければならないということだからです。というよりむしろ、問題は、ポストフォーディズム状況においては芸術家的なものと社会的なものの区分が曖昧化されているのであり、その間の区分を再導入するにはどうするか、というのが、本パネルの根底的な問題だったといえるでしょうか。
 私はそのことを、イタリアの哲学者であるパオロ・ヴィルノの議論を導入しつつ、田尻さん、佐喜真さん、西さんの順番でコメントを加えていく形で検討したいと思います。まず、田尻さんの扱った赤瀬川原平は、ある意味ではアヴァンギャルドの基本を再興しようとした人でした。つまりその基本とは、歴史的アヴァンギャルドの原理、つまり異化もしくは現象学的還元であり、それによって物象化を批判するということです。しかしもちろん彼が同時に直面したのは、そのようなアヴァンギャルド的な批判そのものの困難でした。ハンドアウトに引用したパオロ・ヴィルノは、そのような困難を述べていると言えます。

名人芸は二つの選択肢に開かれています。ひとつは、名人芸が政治的行動の諸性質(作品の欠如、他人の眼差しへの露出、偶然性など)をなぞるような場合、すなわち、アリストテレスハンナ・アーレントが示唆しているような選択肢です。もうひとつは、マルクスに見られるような選択肢、すなわち、名人芸が「同時に生産的労働とはならない賃金労働」のような容貌を呈する場合です。しかしながら、生産的労働自体がパフォーマンス芸術家に特有な諸性質を自分のものとするようになれば、以上のような分岐は失効し粉々になってしまうでしょう。ポストフォーディズムにおいては、剰余価値を生産する者は、ピアニストや舞踊家のように、したがって、ひとりの政治家のように振る舞うのです……。(パオロ・ヴィルノマルチチュードの文法』廣瀬純訳、月曜社、2004年、91-2頁)

ここでヴィルノは、ハンナ・アーレントの『人間の条件』における「労働・仕事・活動」の区分をかなり自由に応用しつつ、ポストフォーディズムにおいてこれらの区分が崩壊していることを論じています。ここでヴィルノが論じている名人芸とは、二つ目の引用でアーレントが述べている通り、パフォーマンス芸術に必要とされるものなのですが、アーレントは、名人芸の必要とする条件を、パフォーマンス芸術と政治が共有していることを指摘しています。これ自体は、政治的なものと芸術的なものの区分を切り崩す、歴史的アヴァンギャルドそのものと言えるでしょう。しかしヴィルノはさらに、詳細は省かざるをえませんが、マルクスの読解を通じて、「名人芸が「同時に生産的労働とはならない賃金労働」のような容貌を呈する」ことを指摘します。言いかえれば、パフォーマンス芸術や政治という、アーレントの区分で言えば「活動」に属するべきものの特質が、ポストフォーディズムにおいては、非物質的な賃金労働の特質になることを、指摘します。
 アーレントの「労働・仕事・活動」の区分を現代にあてはめて乱暴に言いかえてしまえば、それらは第一次産業第二次産業第三次産業に対応すると言えるでしょう。ポストフォーディズムにおいては第三次産業が労働の中心になるということと、アーレント的な「活動」が賃金労働化するということは、見事に対応していることになります。パフォーマンス芸術は賃金労働化し、賃金労働もコミュニケーションを中心とするパフォーマンス芸術と化します。
 だとすれば、私たちの課題は、いかにして「活動」を取りもどすか、ということになります。今述べた、活動がすなわち第三次産業であるというのは、資本主義の全面化を前提とした抽象論であり、私たちはそれに抵抗する術を見いださなければならないのです。田尻さんの論じた赤瀬川が試みたのは、そのような抵抗でした。しかし、田尻さんも認めたように、赤瀬川の試みはこのような状況に対する真っ向からの否定にはなり得ませんでした。そのことは、『超芸術トマソン』の谷町の回によく表れているでしょう。つまり、この回を読んで、このプロジェクトの主眼は森ビルによる谷町のジェントリフィケーションと、それに対する抵抗の記録であるという読み方は、本書自体が禁じています。赤瀬川は谷町に残された銭湯の煙突を、ジェントリフィケーションへの抵抗と見ようとしますが、それは単なる幻想であり、この銭湯は率先して地上げに応じていたことが明らかにされるのです。ここで赤瀬川は、資本主義への「抵抗」のヴィジョンを痛烈に皮肉っているのです。
 また、トマソン観測センターの活動の特徴として挙げられた一種の集団性、つまり芸術化的労働の脱スキル化にともなう、芸術家と非芸術化との区分の侵食もまた、ポストフォーディズム的な現象であると言えます。さきほどのヴィルノからの引用の後半で、ヴィルノマルクスから「協働」という概念を導き出していますが、コミュニケーション能力、またはほかのところでヴィルノが使っている表現では「一般知性」を労働のための道具とする現代の労働者にとっては、分業ならぬ協働が、労働の典型的な様態になっているのです。おそらく赤瀬川によるトマソンの観測は、そのような労働と芸術の区分の侵食と資本主義の全面化、そして協働の資本による搾取といった事実を、これはコメントの結論で述べますが、全面的に否定するためではなく、そういったものからこぼれおちる残滓的なものを拾い集めるための作業だったのでしょうか。
 ヴィルノはこれについては述べていませんが、彼が述べるようなポストフォーディズム的労働は、いわゆる女性化された労働となります。労働の女性化は、佐喜真さんのペーパーの主題のひとつでした。労働の女性化についてはすでに佐喜真さんがニナ・パワーに依拠して概説してくださいましたので繰り返しませんが、ここではポストフェミニズム状況というタームを導入しておきたいと思います。ポストフェミニズムという言葉については論者によってかなり定義に違いがあるのですが、ここでは1990年代以降に支配的になった、第二波フェミニズム的な政治が不在になった状況のことを指すのにこの言葉を使いたいと思います。ポストフェミニズムを代表する作品としてよく引き合いに出されるのはイギリスでは『ブリジット・ジョーンズの日記』や、その後に続くチック・リットと呼ばれるジャンルですが、そこでは女性たちはもはや再生産労働を女性に強いる福祉国家下の家父長制からは自由になったと想定され、女性の問題は、彼女たちが参入した市場の中でいかに生きていくかということに収斂します。
 このような、労働、そして再生産労働はすでに問題とはならなくなったと想定されるポストフェミニズム状況の裏側には、もちろんまさに労働と再生産労働の問題が形を変えて存在していると見るべきでしょう。日本でいえば1986年の男女雇用機会均等法以降、女性の賃金労働への就業率は確かに高まりました、しかし、その大部分は非正規雇用という、新自由主義的・ポストフォーディズム的な労働力としてでした。ポストフェミニズム状況を乗り越えるフェミニズムは、そのような労働を問題にしなければなりません。
 ポストフェミニズム的な女性たちの職業の典型は、メディア産業です。先ほど述べたチック・リットの登場人物たちの多くは、メディアやファッションの業界で働いているのが常です。つまり女性化された労働の典型は物質的生産労働ではないクリエイティヴ労働なのです。先ほどから使っている用語法で言いかえれば、彼女たちは賃労働化された「活動」を、または「活動」化された賃労働を行っているということになります。佐喜真さんの扱った崎山多美「見えないマチからションカネーが」が暴露するのは、そのような労働のヴィジョンによって覆い隠されてしまっている労働のあり方です。「ウチ」と「あんた」というこの物語の主人公たちはコザで売春婦として働いていたわけですが、この労働は、ポストフェミニズム的な労働のヴィジョンから二重に排除・抑圧をこうむった労働だといえるでしょう。つまり、ひとつには本土=日本の秩序を陰で支える、アメリカ軍の歓楽街におけるセックス・ワークという地政学的な意味で。しかしここには同時に、セックス・ワークが主婦的な無償の再生産労働やケア労働と連続的なものであるという、もう一つの抑圧の側面があります。その二つの抑圧の水準を一気にあきらかにするのが、「あんた」の体の傷ということになるでしょう。「あんた」の傷は、「あんた」が本土の労働力へと自己を更新して改変しようとしたけれども、それは表面上のものにすぎなかったことを示す痕跡であり、同時に無償の再生産労働を強いられている痕跡でもあります。ポストフェミニズム的な世界像から常に抹消されようとするこれらの労働の、「抑圧されたものの回帰」を、この短編の主人公の亡霊たちは体現していると言えるでしょう。
 さて、改めて、ボルタンスキーとシャペロの論じる「資本主義の新しい精神」から離脱する方法は何でしょうか。「新しい精神」が批判そのものから生じたのだとすると、批判による離脱という道筋はあらかじめ封じられているのでしょうか。
 西さんは、その離脱の道筋を非常にはっきりと示してくれました。すなわち、ポストフォーディズム的な現在を見つめ、なおかつそれを抽象的な全体として見てしまわないためには、「それまでに選択されなかった、つまりは勃興的にすらなり得なかった声を拾い集め、その内実とともになぜ選択されなかったのかといったところまで検証する必要」があるのです。私がこのコメントで依拠したパオロ・ヴィルノも、同じような道を指し示しています。ヴィルノは、1977年イタリアでの、アウトノミア運動という「批判」がいかにして「反転」し、新自由主義へと流れ込んでいったかを論じつつ、それでも次のように述べているのです。

八〇年代のイタリアの新自由主義はいわば反転した七七年である。しかしながら逆もまた真なり──かの古きコンフリクトの季節はいまだ今日にいたるまでポスト・フォーディズムのコインの裏側、叛乱的側面を表象しつづけている。〈七七年の運動〉は(ハンナ・アレントの美しい表現を用いるなら)「わたしたちの背後の未来」、次の局面、未来の歴史に生じるであろう潜在的階級闘争の記憶を構成しているのだ。(ヴィルノ「君は反革命をおぼえているか?」酒井隆史訳『現代思想』25.5(1997年5月): 253-69. 254頁)

新自由主義は反転した77年であるかもしれない。しかしヴィルノは「逆もまた真なり」と言います。つまり、新自由主義を反転させたところには、革命への忘れ去られた衝動があるということです。
 具体的には、西さんが考察の対象とした森崎和江についてはどうでしょうか。西さんは、谷川雁の労働者主義と家父長制に反抗した森崎和江が、それとは切りはなされたフェミニズムを構想・実践したという見方を拒否します。つまり、雑ぱくに言ってしまえば、「新しい社会運動」的な文脈に森崎和江を置くことを拒否します。かといってそれでは、森崎和江社会主義フェミニストと呼べばそれで事足りるのか。『闘いとエロス』の読解が示しているように、森崎が直面したのは、まさにその社会主義フェミニズムのその初めからの不可能性だったのではないでしょうか。森崎はすでに、社会主義フェミニズムが出会うことの困難を見てとり、その困難はフェミニズムだけの困難なのではなく、社会主義(労働運動)の困難であるとも見てとったのだと思います。つまり、有償無償と問わず、女性の労働を捉えられない労働運動は、本質的に労働そのものを捉え損なっている。森崎が見抜いたのはそこだと思います。
 ということは、ポストフェミニズムについて私が述べたことと考え合わせると、森崎はポストフェミニズム状況を超えてゆく道を、すでに指し示していたと言えないでしょうか。その道とは、忘れ去られた苦役としての女性労働を思い出す、ということでした。そのような森崎を現代に再び発見することは、ヴィルノアーレントを介して言っているように、「わたしたちの背後の未来」を見ることですし、「未来の歴史に生じるであろう潜在的階級闘争の記憶」を思い出すことでもあるのです。ひるがえって、赤瀬川のトマソンが、ジェントリフィケーションでおしつぶされる都市の断片の断末魔を記録したこと、崎山が、ポストフェミニズム状況の裏側に二重に排除された女性労働を亡霊として表象したこともまた、「勃興的にすらなり得なかった声」を拾い集める作業だったと言えるでしょう。

The Country and the City

 しばらく、ほとんど研究会の連絡掲示板と化していた本ブログ。日々の思いつきなどはすっかりTwitterにシフトしていましたが、140字で思いつきを書いて満足するという自堕落をいましめるためにも、こちらでも読書日記など再開しようかなと。いや、Twitterも続けるのですけど。あと、ブログに書いたから自堕落でなくなるとは限りませんが。

The Country and the City

The Country and the City

 まずは今年大学院ゼミで読んでいるこちらから。読むのはもう何度目かわからないが、読むたびに新たな発見と理解がもたらされるのであります。

 とはいえ、相変わらず、前半のパストラル詩のところは、引用されている詩を飛ばして地の文を読むという読み方しかできないのがはがゆいところで。やはり、オースティン対コベット、そしてジョージ・エリオットからハーディへ、という流れで、俄然テンションが上がってしまいます。

 これは以前から強調していることですが、「わかる社会」の16章の冒頭の一文は決定的に重要。Most novels are in some sense knowable communitiesという一文ですが、邦訳ではこれを、「ほとんどの小説はなんらかの意味でわかる社会を描いている」としてしまっています(手元に本がないので記憶から)。この、「誤訳」は、通りのよい文章にしようとしたという気持ちはわかるものの、決定的です。ウィリアムズは、お互いの顔を見知った、「わかる社会」(有機体的共同体?)が前もって存在し、それを小説が「描く」とは言っておらず、「小説は……わかる社会である」と言っているのであり、これは文字通りに理解されるべきなのです。

 文字通りに理解するとはどういうことでしょうか。言語の構築体である小説が「わかる社会」であるとはどういうことでしょうか。それは、小説が、社会の全体性(wholeness)を伝達し、理解するための媒体であるということです。ここで言う全体性は、totalityとは区別される意味での全体性です。(ウィリアムズは本書の第21章でwholenessとtotalityをさりげなく、しかしはっきりと区別しています。)つまり、社会から身を引き離し、ある種の抽象化を加えた形で社会の「全体」を記述するのではなく、「参与者にして観察者」という、苦痛と緊張をともなう視点から記述しようと試みられたものがwholenessであり、それが小説という営為なのです。

 これを言いかえれば、ウィリアムズにとって小説とはすなわちリアリズムであり、『田舎と都会』という本はまずもってリアリズム論であるということになります。ですが急いで付け加えなければならないのは、その場合の「リアリズム」は、現実を克明に描くとか、「典型」を用いて社会の全体を描くといった意味でのリアリズムから遠く離れている(正確にはそれだけではなくなっている)ということでしょう。

 そのことがよくわかるのはたとえば、第20章の「モダニズム」論でしょう。ここでウィリアムズは、『ユリシーズ』の偉大さはその「発話のコミュニティ(community of speech)」にあると言っています。これは、言いかえれば、『ユリシーズ』はわかる社会だ、ということです。そこでは、ウィリアムズがほかのところで初期ジョージ・エリオットや初期ロレンスに見いだしていたような、作家(観察者)の言語と登場人物(観察対象)の言語とが分離をこうむっていないような、そのような言語のコミュニティが達成されているというわけです。ウィリアムズにとっては、それが「リアリズム」なのです。

 しかしまたしても急いで付け加えなければならないのは、その「リアリズム」は例外的な偉大な作家の特定の作品に結晶し、それを限りに非歴史的に存在しつづけるようなものではない、ということです。ウィリアムズは常に、直接経験の「記録」と、それが定着した「決まり事(convention)」とのあいだの循環的なプロセスを強調します。最終的には、ウィリアムズにとっては、「決まり事」を切り崩してはまた作り上げる、認識の拡張のプロセスこそがリアリズムだ、ということになるでしょう。(これについては『労働と思想』(堀之内出版)を参照。)

 この「プロセスとしてのリアリズム」という考え方にてらすと、本書の中でウィリアムズが批判しているようにまずは読めてしまう物書きたちも、それぞれのやり方でそのプロセスに参加していることがわかります。たとえば典型はジェイン・オースティンでしょうか。オースティンの階級的限界に対するウィリアムズの批判は鋭く激しいものではありますが、それでも、オースティンはそれなりのやり方で「わかる社会」を創造していたのです。コベットと併置されることで明らかになるのは、オースティンの階級的限界であると同時に、むしろ、オースティンもまたわかる社会=リアリズムのプロセスに参与していたということではないでしょうか。翻ってこのことは、『文化と社会』にも言えるでしょう。『文化と社会』は、右であれ左であれ、それぞれの共通文化を目指し、挫折した人びとの物語なのですから。

20世紀を考える

20世紀を考える

20世紀を考える

 訳書が出ました(出ます)ので紹介します。トニー・ジャットの『20世紀を考える』です。以前、ジャットの『失われた二〇世紀』を共訳してNTT出版から出しましたが、それに続く翻訳となり、ジャットとは妙に縁が深くなりました。

 この本は、ジャットがALSに罹って執筆もままならなくなる中、歴史家のティモシー・スナイダーが聞き手となったロング・インタヴューをまとめたものです。ジャットの出生から現在(当時)までを時系列に従って語る自伝でありつつ、同時代の歴史・政治・学問の状況についても語っていきます。ですが、中欧ユダヤ系の家庭の出身(本人はロンドン生まれ)で、フランスの社会主義についての研究をする歴史家でありつつ、若い頃にはシオニズムに傾倒してイスラエルの入植地へ赴き、しかしそれに幻滅してやがてアメリカの論壇でイスラエル批判をするにいたるというジャットの人生そのものが、波瀾の20世紀をそのまま表現しているとも言えるでしょう。この本はジャットの個人の経験と20世紀の歴史が二重視された、一種の「精神史」である、ということについては訳者あとがきをご参照ください。

 ジャットの書き物につきあっていると、時々危なっかしいなあとは思いつつも、リベラルな知性というものがどういうものなのか、ということを強く感じさせられます。もちろん、「リベラルな知性」そのものが歴史的に限定的なものではあり、私たちの現在にそれを復元することはもはや難しいのかもしれません。また、訳者が言うべきではないでしょうけれども、ジャットの共産主義へのスタンスや反「理論」のスタンスには、必ずしも同意できない部分はあります。しかし、このような知性が存在したことを伝え、それがいかにして形成されたかを伝えることのできる訳業にたずさわることができてうれしく思います。


 *ところで、訳者あとがきと訳者プロフィールで、『失われた二〇世紀』を『忘れられた二〇世紀』としてしまうとんでもないミスをしてしまいました。原著のタイトルに引っ張られてしまったのですが言い訳にもなりません。ここにお詫びと訂正をいたします。