表象文化論学会パネル「「芸術家的批判」の再興に向けて」

 昨日は表象文化論学会のパネル「「芸術家的批判」の再興に向けて」で、コメンテイターをつとめさせていただきました。三人のペーパーはそれぞれに濃密で面白く、意義深いものでした。コメントをする作業は知的な興奮に満ちたものになりました。

 で、そのコメント、たぶんどこでも活字化されることはないと思うので、ここに原稿を再録しておきます。今回は大体原稿の通りに話したと思います。

表象文化論学会
パネル「「芸術家的批判」の再興に向けて」コメント
河野真太郎


 本パネルは、リュック・ボルタンスキーとエヴ・シャペロの区分する「社会的批判」と「芸術家的批判」のうち、新自由主義体制への取り込みを受け、さらには新自由主義体制を生み出す力となってしまったかに見える「芸術家的批判」をいかにして再興するか、ということを大きなテーマとして掲げています。
 三本のペーパーを聞いた上で、そのようなテーマに対するこのパネルの結論を一行で述べるならこうなるでしょう。すなわち、芸術家的批判の再興のためには、われわれは、労働を労働として取り戻さなければならない、それも、疎外された苦役としての労働を取り戻さなければならない、ということです。これは、逆説的な結論です。というのも、労働の問題は「社会的批判」に属するものであり、つまり「芸術家的批判」を再興するためには、結局社会的批判を徹底しなければならないということだからです。というよりむしろ、問題は、ポストフォーディズム状況においては芸術家的なものと社会的なものの区分が曖昧化されているのであり、その間の区分を再導入するにはどうするか、というのが、本パネルの根底的な問題だったといえるでしょうか。
 私はそのことを、イタリアの哲学者であるパオロ・ヴィルノの議論を導入しつつ、田尻さん、佐喜真さん、西さんの順番でコメントを加えていく形で検討したいと思います。まず、田尻さんの扱った赤瀬川原平は、ある意味ではアヴァンギャルドの基本を再興しようとした人でした。つまりその基本とは、歴史的アヴァンギャルドの原理、つまり異化もしくは現象学的還元であり、それによって物象化を批判するということです。しかしもちろん彼が同時に直面したのは、そのようなアヴァンギャルド的な批判そのものの困難でした。ハンドアウトに引用したパオロ・ヴィルノは、そのような困難を述べていると言えます。

名人芸は二つの選択肢に開かれています。ひとつは、名人芸が政治的行動の諸性質(作品の欠如、他人の眼差しへの露出、偶然性など)をなぞるような場合、すなわち、アリストテレスハンナ・アーレントが示唆しているような選択肢です。もうひとつは、マルクスに見られるような選択肢、すなわち、名人芸が「同時に生産的労働とはならない賃金労働」のような容貌を呈する場合です。しかしながら、生産的労働自体がパフォーマンス芸術家に特有な諸性質を自分のものとするようになれば、以上のような分岐は失効し粉々になってしまうでしょう。ポストフォーディズムにおいては、剰余価値を生産する者は、ピアニストや舞踊家のように、したがって、ひとりの政治家のように振る舞うのです……。(パオロ・ヴィルノマルチチュードの文法』廣瀬純訳、月曜社、2004年、91-2頁)

ここでヴィルノは、ハンナ・アーレントの『人間の条件』における「労働・仕事・活動」の区分をかなり自由に応用しつつ、ポストフォーディズムにおいてこれらの区分が崩壊していることを論じています。ここでヴィルノが論じている名人芸とは、二つ目の引用でアーレントが述べている通り、パフォーマンス芸術に必要とされるものなのですが、アーレントは、名人芸の必要とする条件を、パフォーマンス芸術と政治が共有していることを指摘しています。これ自体は、政治的なものと芸術的なものの区分を切り崩す、歴史的アヴァンギャルドそのものと言えるでしょう。しかしヴィルノはさらに、詳細は省かざるをえませんが、マルクスの読解を通じて、「名人芸が「同時に生産的労働とはならない賃金労働」のような容貌を呈する」ことを指摘します。言いかえれば、パフォーマンス芸術や政治という、アーレントの区分で言えば「活動」に属するべきものの特質が、ポストフォーディズムにおいては、非物質的な賃金労働の特質になることを、指摘します。
 アーレントの「労働・仕事・活動」の区分を現代にあてはめて乱暴に言いかえてしまえば、それらは第一次産業第二次産業第三次産業に対応すると言えるでしょう。ポストフォーディズムにおいては第三次産業が労働の中心になるということと、アーレント的な「活動」が賃金労働化するということは、見事に対応していることになります。パフォーマンス芸術は賃金労働化し、賃金労働もコミュニケーションを中心とするパフォーマンス芸術と化します。
 だとすれば、私たちの課題は、いかにして「活動」を取りもどすか、ということになります。今述べた、活動がすなわち第三次産業であるというのは、資本主義の全面化を前提とした抽象論であり、私たちはそれに抵抗する術を見いださなければならないのです。田尻さんの論じた赤瀬川が試みたのは、そのような抵抗でした。しかし、田尻さんも認めたように、赤瀬川の試みはこのような状況に対する真っ向からの否定にはなり得ませんでした。そのことは、『超芸術トマソン』の谷町の回によく表れているでしょう。つまり、この回を読んで、このプロジェクトの主眼は森ビルによる谷町のジェントリフィケーションと、それに対する抵抗の記録であるという読み方は、本書自体が禁じています。赤瀬川は谷町に残された銭湯の煙突を、ジェントリフィケーションへの抵抗と見ようとしますが、それは単なる幻想であり、この銭湯は率先して地上げに応じていたことが明らかにされるのです。ここで赤瀬川は、資本主義への「抵抗」のヴィジョンを痛烈に皮肉っているのです。
 また、トマソン観測センターの活動の特徴として挙げられた一種の集団性、つまり芸術化的労働の脱スキル化にともなう、芸術家と非芸術化との区分の侵食もまた、ポストフォーディズム的な現象であると言えます。さきほどのヴィルノからの引用の後半で、ヴィルノマルクスから「協働」という概念を導き出していますが、コミュニケーション能力、またはほかのところでヴィルノが使っている表現では「一般知性」を労働のための道具とする現代の労働者にとっては、分業ならぬ協働が、労働の典型的な様態になっているのです。おそらく赤瀬川によるトマソンの観測は、そのような労働と芸術の区分の侵食と資本主義の全面化、そして協働の資本による搾取といった事実を、これはコメントの結論で述べますが、全面的に否定するためではなく、そういったものからこぼれおちる残滓的なものを拾い集めるための作業だったのでしょうか。
 ヴィルノはこれについては述べていませんが、彼が述べるようなポストフォーディズム的労働は、いわゆる女性化された労働となります。労働の女性化は、佐喜真さんのペーパーの主題のひとつでした。労働の女性化についてはすでに佐喜真さんがニナ・パワーに依拠して概説してくださいましたので繰り返しませんが、ここではポストフェミニズム状況というタームを導入しておきたいと思います。ポストフェミニズムという言葉については論者によってかなり定義に違いがあるのですが、ここでは1990年代以降に支配的になった、第二波フェミニズム的な政治が不在になった状況のことを指すのにこの言葉を使いたいと思います。ポストフェミニズムを代表する作品としてよく引き合いに出されるのはイギリスでは『ブリジット・ジョーンズの日記』や、その後に続くチック・リットと呼ばれるジャンルですが、そこでは女性たちはもはや再生産労働を女性に強いる福祉国家下の家父長制からは自由になったと想定され、女性の問題は、彼女たちが参入した市場の中でいかに生きていくかということに収斂します。
 このような、労働、そして再生産労働はすでに問題とはならなくなったと想定されるポストフェミニズム状況の裏側には、もちろんまさに労働と再生産労働の問題が形を変えて存在していると見るべきでしょう。日本でいえば1986年の男女雇用機会均等法以降、女性の賃金労働への就業率は確かに高まりました、しかし、その大部分は非正規雇用という、新自由主義的・ポストフォーディズム的な労働力としてでした。ポストフェミニズム状況を乗り越えるフェミニズムは、そのような労働を問題にしなければなりません。
 ポストフェミニズム的な女性たちの職業の典型は、メディア産業です。先ほど述べたチック・リットの登場人物たちの多くは、メディアやファッションの業界で働いているのが常です。つまり女性化された労働の典型は物質的生産労働ではないクリエイティヴ労働なのです。先ほどから使っている用語法で言いかえれば、彼女たちは賃労働化された「活動」を、または「活動」化された賃労働を行っているということになります。佐喜真さんの扱った崎山多美「見えないマチからションカネーが」が暴露するのは、そのような労働のヴィジョンによって覆い隠されてしまっている労働のあり方です。「ウチ」と「あんた」というこの物語の主人公たちはコザで売春婦として働いていたわけですが、この労働は、ポストフェミニズム的な労働のヴィジョンから二重に排除・抑圧をこうむった労働だといえるでしょう。つまり、ひとつには本土=日本の秩序を陰で支える、アメリカ軍の歓楽街におけるセックス・ワークという地政学的な意味で。しかしここには同時に、セックス・ワークが主婦的な無償の再生産労働やケア労働と連続的なものであるという、もう一つの抑圧の側面があります。その二つの抑圧の水準を一気にあきらかにするのが、「あんた」の体の傷ということになるでしょう。「あんた」の傷は、「あんた」が本土の労働力へと自己を更新して改変しようとしたけれども、それは表面上のものにすぎなかったことを示す痕跡であり、同時に無償の再生産労働を強いられている痕跡でもあります。ポストフェミニズム的な世界像から常に抹消されようとするこれらの労働の、「抑圧されたものの回帰」を、この短編の主人公の亡霊たちは体現していると言えるでしょう。
 さて、改めて、ボルタンスキーとシャペロの論じる「資本主義の新しい精神」から離脱する方法は何でしょうか。「新しい精神」が批判そのものから生じたのだとすると、批判による離脱という道筋はあらかじめ封じられているのでしょうか。
 西さんは、その離脱の道筋を非常にはっきりと示してくれました。すなわち、ポストフォーディズム的な現在を見つめ、なおかつそれを抽象的な全体として見てしまわないためには、「それまでに選択されなかった、つまりは勃興的にすらなり得なかった声を拾い集め、その内実とともになぜ選択されなかったのかといったところまで検証する必要」があるのです。私がこのコメントで依拠したパオロ・ヴィルノも、同じような道を指し示しています。ヴィルノは、1977年イタリアでの、アウトノミア運動という「批判」がいかにして「反転」し、新自由主義へと流れ込んでいったかを論じつつ、それでも次のように述べているのです。

八〇年代のイタリアの新自由主義はいわば反転した七七年である。しかしながら逆もまた真なり──かの古きコンフリクトの季節はいまだ今日にいたるまでポスト・フォーディズムのコインの裏側、叛乱的側面を表象しつづけている。〈七七年の運動〉は(ハンナ・アレントの美しい表現を用いるなら)「わたしたちの背後の未来」、次の局面、未来の歴史に生じるであろう潜在的階級闘争の記憶を構成しているのだ。(ヴィルノ「君は反革命をおぼえているか?」酒井隆史訳『現代思想』25.5(1997年5月): 253-69. 254頁)

新自由主義は反転した77年であるかもしれない。しかしヴィルノは「逆もまた真なり」と言います。つまり、新自由主義を反転させたところには、革命への忘れ去られた衝動があるということです。
 具体的には、西さんが考察の対象とした森崎和江についてはどうでしょうか。西さんは、谷川雁の労働者主義と家父長制に反抗した森崎和江が、それとは切りはなされたフェミニズムを構想・実践したという見方を拒否します。つまり、雑ぱくに言ってしまえば、「新しい社会運動」的な文脈に森崎和江を置くことを拒否します。かといってそれでは、森崎和江社会主義フェミニストと呼べばそれで事足りるのか。『闘いとエロス』の読解が示しているように、森崎が直面したのは、まさにその社会主義フェミニズムのその初めからの不可能性だったのではないでしょうか。森崎はすでに、社会主義フェミニズムが出会うことの困難を見てとり、その困難はフェミニズムだけの困難なのではなく、社会主義(労働運動)の困難であるとも見てとったのだと思います。つまり、有償無償と問わず、女性の労働を捉えられない労働運動は、本質的に労働そのものを捉え損なっている。森崎が見抜いたのはそこだと思います。
 ということは、ポストフェミニズムについて私が述べたことと考え合わせると、森崎はポストフェミニズム状況を超えてゆく道を、すでに指し示していたと言えないでしょうか。その道とは、忘れ去られた苦役としての女性労働を思い出す、ということでした。そのような森崎を現代に再び発見することは、ヴィルノアーレントを介して言っているように、「わたしたちの背後の未来」を見ることですし、「未来の歴史に生じるであろう潜在的階級闘争の記憶」を思い出すことでもあるのです。ひるがえって、赤瀬川のトマソンが、ジェントリフィケーションでおしつぶされる都市の断片の断末魔を記録したこと、崎山が、ポストフェミニズム状況の裏側に二重に排除された女性労働を亡霊として表象したこともまた、「勃興的にすらなり得なかった声」を拾い集める作業だったと言えるでしょう。