The Country and the City

 しばらく、ほとんど研究会の連絡掲示板と化していた本ブログ。日々の思いつきなどはすっかりTwitterにシフトしていましたが、140字で思いつきを書いて満足するという自堕落をいましめるためにも、こちらでも読書日記など再開しようかなと。いや、Twitterも続けるのですけど。あと、ブログに書いたから自堕落でなくなるとは限りませんが。

The Country and the City

The Country and the City

 まずは今年大学院ゼミで読んでいるこちらから。読むのはもう何度目かわからないが、読むたびに新たな発見と理解がもたらされるのであります。

 とはいえ、相変わらず、前半のパストラル詩のところは、引用されている詩を飛ばして地の文を読むという読み方しかできないのがはがゆいところで。やはり、オースティン対コベット、そしてジョージ・エリオットからハーディへ、という流れで、俄然テンションが上がってしまいます。

 これは以前から強調していることですが、「わかる社会」の16章の冒頭の一文は決定的に重要。Most novels are in some sense knowable communitiesという一文ですが、邦訳ではこれを、「ほとんどの小説はなんらかの意味でわかる社会を描いている」としてしまっています(手元に本がないので記憶から)。この、「誤訳」は、通りのよい文章にしようとしたという気持ちはわかるものの、決定的です。ウィリアムズは、お互いの顔を見知った、「わかる社会」(有機体的共同体?)が前もって存在し、それを小説が「描く」とは言っておらず、「小説は……わかる社会である」と言っているのであり、これは文字通りに理解されるべきなのです。

 文字通りに理解するとはどういうことでしょうか。言語の構築体である小説が「わかる社会」であるとはどういうことでしょうか。それは、小説が、社会の全体性(wholeness)を伝達し、理解するための媒体であるということです。ここで言う全体性は、totalityとは区別される意味での全体性です。(ウィリアムズは本書の第21章でwholenessとtotalityをさりげなく、しかしはっきりと区別しています。)つまり、社会から身を引き離し、ある種の抽象化を加えた形で社会の「全体」を記述するのではなく、「参与者にして観察者」という、苦痛と緊張をともなう視点から記述しようと試みられたものがwholenessであり、それが小説という営為なのです。

 これを言いかえれば、ウィリアムズにとって小説とはすなわちリアリズムであり、『田舎と都会』という本はまずもってリアリズム論であるということになります。ですが急いで付け加えなければならないのは、その場合の「リアリズム」は、現実を克明に描くとか、「典型」を用いて社会の全体を描くといった意味でのリアリズムから遠く離れている(正確にはそれだけではなくなっている)ということでしょう。

 そのことがよくわかるのはたとえば、第20章の「モダニズム」論でしょう。ここでウィリアムズは、『ユリシーズ』の偉大さはその「発話のコミュニティ(community of speech)」にあると言っています。これは、言いかえれば、『ユリシーズ』はわかる社会だ、ということです。そこでは、ウィリアムズがほかのところで初期ジョージ・エリオットや初期ロレンスに見いだしていたような、作家(観察者)の言語と登場人物(観察対象)の言語とが分離をこうむっていないような、そのような言語のコミュニティが達成されているというわけです。ウィリアムズにとっては、それが「リアリズム」なのです。

 しかしまたしても急いで付け加えなければならないのは、その「リアリズム」は例外的な偉大な作家の特定の作品に結晶し、それを限りに非歴史的に存在しつづけるようなものではない、ということです。ウィリアムズは常に、直接経験の「記録」と、それが定着した「決まり事(convention)」とのあいだの循環的なプロセスを強調します。最終的には、ウィリアムズにとっては、「決まり事」を切り崩してはまた作り上げる、認識の拡張のプロセスこそがリアリズムだ、ということになるでしょう。(これについては『労働と思想』(堀之内出版)を参照。)

 この「プロセスとしてのリアリズム」という考え方にてらすと、本書の中でウィリアムズが批判しているようにまずは読めてしまう物書きたちも、それぞれのやり方でそのプロセスに参加していることがわかります。たとえば典型はジェイン・オースティンでしょうか。オースティンの階級的限界に対するウィリアムズの批判は鋭く激しいものではありますが、それでも、オースティンはそれなりのやり方で「わかる社会」を創造していたのです。コベットと併置されることで明らかになるのは、オースティンの階級的限界であると同時に、むしろ、オースティンもまたわかる社会=リアリズムのプロセスに参与していたということではないでしょうか。翻ってこのことは、『文化と社会』にも言えるでしょう。『文化と社会』は、右であれ左であれ、それぞれの共通文化を目指し、挫折した人びとの物語なのですから。