新自由主義者のユートピア

 土曜は子供が拾ってきた流行性胃腸炎がまた感染したらしく、寝る。といっても日曜の新自由主義研究会の後にウォッカを飲んでたら信じてもらえないわけですが。その新自由主義研究会。

The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism

The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism

 主にこちらがお題。新自由主義の「伝道師」たるフリードマン一派、「シカゴ・ボーイズ」は、クラインの言う"disaster capitalism"を実践した。クーデターなどの政変であれ、戦争であれ、自然災害であれ、disasterで焼け野原になった地域に入っていき、資本を投下し、新自由主義化するという。具体的には、南米。チリのピノチェトによる軍事クーデター後の新自由主義政策とか。チリはフリードマン派を招き入れるのと同時に、シカゴに留学生を送り込み、マネタリストを養成した。

 こんな感じで、シカゴ学派は"disaster"あるところには必ずと言っていいほど、「ビジネス・チャンス」を見いだして介入しているという。ポーランド開放、天安門事件以降の中国、ポスト・アパルトヘイト南アフリカ津波……。

 このdisaster capitalismの手法が「本国」に持ち込まれるには時間がかかる。イギリスの場合はサッチャー政権下でのフォークランド戦争が挙げられる。フォークランド戦争のおかげで、サッチャーはその後の労組との戦いにおいて、「内なる敵」という戦争のレトリックを国内に持ち込むことができた、と。アメリカについては、9.11とハリケーン・カトリナ。ハリケーン・カトリナの際、フリードマンは「これであの地域が一掃される」と喜んだというすっぱ抜き。

 これは、一方では新自由主義に限定されない、資本主義一般の話でもあると思う。資本主義は不安定性を基礎としているわけで、たとえばみんなが先祖が建てた家をちびちびDIYでメンテナンスしながら住み続けたりしたら、資本主義は成り立たないのである。変化と破壊が必要なわけだ。

 しかしこのクラインの本の特色は、実は物語はCIAによる拷問技術の開発と実践の話から始まっているということ。感覚遮断と過刺激(電気ショックも含め)をくりかえすことによって、人間を退行させ、"blank slate"にすることで、自白を引き出すという。これが、じつは1950年代にマギル大学で開発された、精神疾患の「治療法」に端を発するという。クラインはこの、人間の心を「まっさら」にすることと、ある地域を「まっさら」にするdisaster capitalismをつないでみせるのだ。この辺が、読み物として純粋に面白いのである。

 この議論と文化論をリンクさせるときに、当日ちょっと示唆したが、映画というメディアの「ショック・セラピー」的な側面は重要になるのかもしれない。ベンヤミンを持ち出すまでもなく。近代のメディアというのは、いかに、まずは感覚遮断を行い(映画館の暗闇と快適なシート)、しかる後に視覚聴覚に過刺激を流しこむかということの洗練の歴史をたどってきたことを考えると、CIAの拷問法と近代メディアとの類似性を妄想してしまう。ひるがえって、新自由主義の装置としてのdisasterのバーチャル性も考えることができよう。これも当日コメントしたように、新自由主義政策を「断行」する際には、disasterが演出され、強調される。日本でいえばバブル崩壊とか、財政破綻の危機とか(あと、「オウム」も重要だったが、これも、強烈なメディア・イヴェントだった側面もある)。こういった「危機の演出」に対する耐性を育てることが重要なんだな。それをメディア・リテラシーと呼んでもいいが、「教養」と呼ぶことも可能だろう。