マッチョな私のBI

 昨日は新自由主義読書会で私がベーシック・インカムおよびATTACによるトービン税導入運動を紹介。まあ本当に紹介だけだったのだが、思ったのは、ベーシック・インカムというのは結構新自由主義とも親和性が高い。たとえば、負の所得税を提唱したミルトン・フリードマンは、それが市場の自由に干渉することなく貧困の問題を解決できると考えたから提唱したわけだし、行政コストを削減できるというのがBIの利点のひとつだし、またBIが含意する(かもしれない)極限的な個人主義というのもある。しかし、デイヴィッド・ハーヴェイが述べるように、新自由主義自由主義という理論のもとに実践においては階級権力を再構築してきた、矛盾したものであるなら、BIとは自由主義の理論を徹底することになるのかもしれない。その意味で、親和性が高いことそれ自体は問題であるよりは利点であるというか。M浦さんによる、「福祉国家下の保険制度を軸とする規範の生成、生政治を、BIは切断するのではないか」という指摘には首肯。

 今回は趣向を変えて、国分寺に繰り出す。ベーシック・インカムについて話した後としては犯罪的ともいえる享楽的な飲酒。M浦さんから、「shintakはマッチョだ、という業界的な定説があるので是正すべし」とのご助言をいただくが、マッチョだという意味がどうしてもわからず、よくよく聞いて見れば、おそらく私が(特に初対面で)非常に愛想が悪い人間であることに起因しているのではないかと思えた。いや、まあ、愛想が悪いというのは誰にでもそうなのではなくて、「かかわり合いになりたくないオーラ」を出してる場合もあるのは確かですが。あと、「マッチョだ」というのは「アカだ」と同義で使われているのではないか、という可能性も検討してみるものの、そうだとするとそのような等値がどうやって可能になるのかの方に興味がわく。でも、「だからフェミニズムの論文書け」というのはマッチョだと思いますよ、M浦さん。で、もちろん結論はないままに、予想外の深酒。O田さんお勧めのバーで、「最後に食後酒でも一杯」といって飲み始め、「食後酒」を3杯くらい(もっとか?)飲む。