Possible Is Another World

 などと某グローバル企業のコピーをもじったら怒られちゃうだろう、下記のイヴェントに参加。

世界社会フォーラム 首都圏 2010

 午後から行って、まずはATTACジャパンが主催した、環境サミット関連の分科会へ。先のCOP15における会場の内外の様子など、興味深い報告。とくに、デンマークではCOP15にむけて予防拘禁の「規制緩和」が法制化されており、警察やりたい放題であった様子が、壮絶さを微塵も感じさせない飄々としたKさん(多分、言わなかったけど本人も拘束されたのでは)の語り口で報告されたところは面白かった。

 ちなみにこの話題、私はちょうど前もって、ナオミ・クラインCOP15への展望を述べたインタビューを、英語の授業で扱っており、まったくの無知というわけでもなかったのだが、ナオミ・クラインが述べていた今回のコペンハーゲンの特色のひとつ、つまり、1999年のシアトルでの闘争ですでに芽を出していた、「環境問題にフォーカスするグループと、貧困問題・資本主義にフォーカスするグループとの合流」が、実を結ぶかもしれないという点について、結論としては上記の警察の弾圧によって残念なことになったようだが、報告の端々にはやはりそのような連携の様子がうかがい知れた。

 レイモンド・ウィリアムズ師は、CNDについて、「反核運動には、つねに反核運動以上のもが見出されねばならない」という趣旨のことを言ったはずだが(引用いい加減)、そういうことだ。個々の問題に「その問題以上のこと」を見出すことと、運動のあいだの「つながり」を見出すこと、これが重要である。

 (これって組合活動をしていても思うことで、はっきりいって職場を見回せば、「こんなやつの利害を守ってあげるために自分の時間と労力なんか割きたくねえ」と思う部分があるのが理屈なのだが、労働運動でさえも、この闘争が「それ以上のこと」につながっているものとして闘われなければならないのである。)

 その後は全体会の「新自由主義vs労働運動」へ。提題者たちの報告はほぼ終わったところからの参加で残念だったが、こちらも刺激的。話と議論を聞いていて、頭の中には「そこでベーシック・インカムですよ」という言葉がリピートされる。たとえば、「派遣村」の話で、二週間だかかかる生活保護申請を待ちきれず、その日の収入を得るために派遣村を抜けだして日雇い労働に赴いてしまう人たちの話にしても、BIは二重の意味で解決をもたらすのだ。ひとつには派遣村ワークフェア的な前提が不必要になること。もうひとつは生活保護申請にかかる時間的コストが消滅すること。弁護士の中野麻美さんの力強いスピーチには感銘を受けたが、その中であった指摘、とくに数年前に施行された労働契約法について、「新自由主義は、脆弱な個人にかえて、『強い個人』をすえた」という指摘についても、BIは「強い個人」にならなくても生きていける、生存権を保障するのであり、BIが前提としつつもたらすであろう「個人」に関するイデオロギー効果というものが、やはり解放的に思えるのだ。

 さまざまな感銘と刺激を受けつつ、誘ってくれた大学院時代の(大)先輩はその後サッカーバーでトットナムの応援に行くとのことで、そんなのつきあえませんよバカといって茶だけして帰宅。ケン・ローチの最新作(『この自由な世界で』でなくて、去年公開のLooking for Eric)はかなり面白いらしい。