卒業論文

 卒論の添削添削添削……。卒論って何なのさ、その指導って何なのさ、という疑念と戦いながら。疑念というのは、私の知っている卒論とその指導は、「学生が勝手に書いて←教員が大まかにコメントする」というものであって、決して「添削」ではないのである、ということ。もちろんそのロールモデルが偏っているのは分かっているが、どうしてもそれが「本来的」なものに思えてしまう。

 しかし、これは純粋なる矛盾だが、英語が足かせになっているなあ。でもねえ、「英文科」だしねえ。矛盾だなあ。学生にはぜひ、言語に関係なく、「読む、考える、書く」というプロセスを経験してほしくて、それを4年間の集大成としてやる、というのが卒論のもっとも広い定義なのだろうが。これってね、別に大学院に進んで学問やろうという人でなくとも、基本なんですよ。「聞く、考える、話す」でもいいわけで。生きていく上での基本といいましょうか。さて、日付は変わったがもうひとふんばり。