翻案

 調子出ない。しかし明日から大学の業務もぼちぼち始まるので、先送りにしていた書類や卒論の添削などを効率悪く進める。『ハワーズ・エンド』の読み直し(今回は初めて翻訳を読んでみる)や翻訳を少々。

 吉田健一訳だが、「枯れ草病」に面食らう。もちろんhay feverだが、「花粉症」しか頭になかった。

 もちろん、どちらに訳す可能性もあるわけだが、耳慣れない「枯れ草病」とするか、おなじみの「花粉症」とするか、というのは翻訳の二つの方向性をみごとに例証しているような。つまり、他言語・他文化のものであるという違和感を残すか(枯れ草病)、それとも「文化翻訳」してしまうか(花粉症)。後者の場合、さらに突き進んで翻訳文化の草創期にはよく行われていた「翻案」という極端まであり得るわけだ。ヘンリーは太郎さんと訳してしまうとか(太郎じゃあまりにも。実業家っぽく、渋谷栄一郎とでもしようか)。ハワーズ・エンド邸は、そう、東京近郊の別荘地にでもして、新興ブルジョワと没落貴族、レナード・バストは、ちょっと違うが書生くずれにでもして、屋敷の相続権をめぐるメロドラマ。

 あ、そう考えると、最近の昼メロのノリに、『ハワーズ・エンド』の翻案ものというのはぴったりかもしれない。『鳩の翼』を原作とする昼メロをやっているくらいだし。娘の結婚式でかつての妾と偶然出会った栄一郎は「栄ちゃん」と呼ばれて狼狽する。うむ、十分いけそう。逆にいうと、『ハワーズ・エンド』のナンセンスな人間関係には昼メロ的ご都合主義がなきにしもあらずということか。

ハワーズ・エンド

ハワーズ・エンド