まとめて

 さて、ここ一週間強をまとめて。

 20日から長めの帰省。

 田舎の広いお家で双子は大はしゃぎ。意外なことに、いつもは慎重派の二号機がいきなり怪我。椅子に登ってはしゃいでいたら、倒れてごっつーん。泣いているものの外傷はないし、と思ったら口から「だー」と流血。大事にはいたらず。

 今回のハイライトは「水族館」と「誕生日」。

 この夏は必ず水族館の初体験を、と思っていたので、県内で唯一(?)の下関の水族館へ。着くなり定番のイルカ&アシカショー。一号機、大きな音にビビり、二号機大はしゃぎ。でも二人とも後日、「おこしゃま、ばっしゃーん」と反芻していたので、楽しんでいただけた模様。だた、アシカはもちろん、イルカはおこしゃま(しつこいようですが、お魚のこと)ではないぞよ。

 その他水槽でも、魚はおしなべて「おこしゃま」扱いだが、「かに」「かめ」などなど、水棲動物の名称を覚えてきており、非常に律儀に指さしてはその名を呼ばわるので、連れて行き甲斐がある。二号機は最近、多数のものがいる/あると、「いち、に、さん」と指さしながら数える。


イルカショー。かぶりつき。


定番の「海中トンネル」で見上げると、イワシの回遊。


スナメリさん。

 24日は誕生日。お陰様で二歳。よくここまで育ってくれました。二人の手作りケーキ、といってもスポンジに生クリームをなすりつける工程だけやったケーキらしき物体でお祝い。


ケーキ的なモノ。2本か?4本か?と迷いつつ、キャンドルは2本。


誕生日の午前中のお散歩。秋は近い。

 25日まで滞在。一人で一旦京都へ。半日で研究会の準備をし(すみません)、26日夜には東京へ。

 27日はイギリス文化教科書プロジェクト20世紀後半の研究会。なんと、朝9時から夜10時まで。最後はみんな目がトローンとなりながらも議論は止めない。すばらしいバイタリティ。

 やはり、20世紀後半は独特の難しさがある。そもそも明示的にナショナル・カルチャーではなくなっているわけで、文化のどこを切ってもトランスナショナル/トランスアトランティック/グローバルな連関が浮上してくる。また、量的増大が、もう手に負えないレベルに達してくるわけで(テレビなどはその最たる例)、それをどうするか。

 いや、プロジェクト全体の心配の前に、自分が何を書くかが問題。id:melaniekさんのおっしゃるように、20世紀後半で、転移を引きおこすようなテクストに出会えるかどうかが鍵だろうか。それを言ったらウィリアムズには転移しまくりなんですけどね。

 研究会で扱ったテクスト。

ヨーロッパ戦後史(上)1945-1971

ヨーロッパ戦後史(上)1945-1971

ヨーロッパ戦後史(下)1971-2005

ヨーロッパ戦後史(下)1971-2005

 確かに下巻も出ましたね。通読できていないのでなんとも言えないが、この歴史的契機での「ヨーロッパ」に賭けるものが大きいのだろうか。そこで響いてくるのは、今日帰りの新幹線で読んだ、

闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン

闘争の最小回路―南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン

に論じられている、トニ・ネグリによる欧州憲法への賛同問題である。いずれにせよ、大まかなところでは〈帝国〉化した合州国に対抗する非ナショナルもしくはトランスナショナルなブロックとして評価するということだろうが、いいのか、それで。だめだろう。ジャットに戻ると、ヨーロッパをひとつにするためには、当然に20世紀の忌まわしき過去を歴史化する必要がある。いや、死者の記憶を現在の統合のために利用する手法とは、歴史化ではなく記念碑化というべきか。ジャットの百科全書的歴史書は、そのような記念碑たらんことを目指すのか。

 ついでながら、帰りの新幹線では、コピーを頂いたパオロ・ヴィルノへの広瀬純によるインタヴューも読む。印象に残ったのは、ベーシック・インカムに関するくだり。ヴィルノベーシック・インカムの保証を肯定する。その根拠は、ベーシック・インカムはポストフォーディズム的労働組織において「収奪」された個々人(失業者も含めて)の潜勢力を顕在化させる手段となるということ。ポストフォーディズムにおいては、失業状態であろうともその「能力」は労働へと収奪されるのだが、それは、ヴィルノの言い方では「真のもの」ではあっても「効力のあるもの」にはなっていない。その労働にベーシック・インカムを支払うことで、それを「効力のあるもの」にできる、と。ただしそれは目的ではなく出発点だとヴィルノは強調する。この、あくまでプロセスを思考する力点、「ひとまずは……」の思考が重要。

 もう一度山口まで戻り、子供を拾って京都へトンボ返り。そしてまた直面する帰省(+研究会)とダイエットとの二律背反。出発前より1キロほど増。

 某誌編集人より月末締切の論文についてかなりクリティカルなコメントが。あと数日、これと格闘して、ようやく一段落か。

 現在、不在中に届いたこれを聴きながら。

Lontano

Lontano

 ポーランドのジャズです。ポーランドで音楽というとクラッシックを思い浮かべるかもしれないが、ジャズがかなり盛んとのことで、まずはその中でも大御所から。

 Tomasz Stankoの枯れたトランペットの音、これはストライク。一時期はまっていた北欧ジャズでも、これは盤面がすり切れるほど(CDだから焼き切れるほど?)聴いたのだが、これと通ずるものがある。枯れた感じと透明感の共存は地域的なものなのか。

Solid Ether

Solid Ether