「学習社会」の文学史に向けて

 二週間後に研究発表をします。こちらから転載。準備しなきゃ……。

第216回「歴史と人間」研究会


日時: 2013年7月14日(日)14時より


場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図6番 http://www.hit-u.ac.jp/annai/campus/index.html


報告: 河野 真太郎氏


タイトル: 「ポストフォーディスト・ビルドゥングスロマン――『学習社会』の文学史に向けて」


要旨:
 本発表では、近年の社会の変化と、人間の成長や教育に関する観念と制度の変化、そしてそれに対応する文学(人間の成長を描く文学)の変化という三つの変化の水準を関連づけて考察することを目指す。「近年の社会の変化」とは、1970年代もしくは80年代以降の、福祉国家から新自由主義への、そして生産体制においてはフォーディズムからポストフォーディズムへの変化のことである。おそらくそれに対応するのが、1970年代にUNESCOおよびOECDが打ち出した「学習社会」の理念――そして各国における「生涯学習」の実践――である。フレキシブルに、生涯にわたってスキルを磨き続けるべし、というポストフォーディズム的な「学習社会」の理念は、いかなる形で私たちの文化を作り上げてきたのか。
 本発表ではまず、カズオ・イシグロ(『日の名残り』『わたしを離さないで』)がそのような学習社会の文学であることを確認する。その上で、学習社会の理念は大きく二つの側面において現代社会を規定していることを指摘する。すなわちそれは、ポストフェミニズム状況というジェンダーの問題と、多文化主義およびシティズンシップ教育という人種の問題である。ここでの問題は、ジェンダーと人種という「新しい社会運動」の二大テーマは、学習社会の理念に簒奪され、新自由主義的な現在(特に、90年代以降のロールアウト型の新自由主義)にとってはこの二つの側面におけるマイノリティがアクティヴに社会参加することはむしろ歓迎すべき事態になっているかもしれないということである。本発表では、いくつかのテクストを検討して、この二側面において何が起きたのかを検討したい。その際、教養小説的な物語、または階級上昇物語が現代においていかなる変容をこうむっているか、ということが重要な視点となるだろう。具体的には、ポストフェミニズム状況については『リタの教育』『羊たちの沈黙』『ブリジット・ジョーンズの日記』など、多文化主義とシティズンシップ教育については『ハリー・ポッター』シリーズと、再びカズオ・イシグロを検討する予定である。


参考文献:
河野真太郎『〈田舎と都会〉の系譜学:20世紀イギリスと「文化」の地図』(ミネルヴァ書房、2013年)第8章