玉砕

土曜日

 朝早めに出て、読書会の前に駒場日本近代文学館へ。目的は、エンプソンの「プロレタリア文学」初出の雑誌『新英米文学』をチェックすること。現物を手にしてみると、得ていた情報とは違ってこの論文は3回連載のものであった。

 それよりも、雑誌自体がむちゃくちゃに面白い。以前書いたとおり、『新英米文学』は当時の非主流派英米文学者たちが立ち上げたもので、ジョイスやエリオット、ウルフなど同時代のイギリスモダニズムのみならず(同時代を扱うことはそれだけでラディカルであった)、当時はこれまた傍流であったアメリカ文学も大きく扱うこと、「帝国主義となんとか」みたいな、文学とは離れた、それも左翼的な内容の記事が多いことなどを特徴とする。エンプソンの論文が載った号などには、「映画欄」があり、Close Upという当時の映画雑誌が紹介されていたりしてびっくりした。

 時間がなく、取り急ぎエンプソンの論文だけコピーするも、この雑誌は一度籠もって通読したい。

 ウィリアムズ研究会へ。報告はid:hidexiさんもしていらっしゃいます。(追記:id:melaniekさんの報告もご参照ください。再追記:id:drydenianaさんの報告も。)

Some Versions of Pastoral (New Directions Paperbook ; 92)

Some Versions of Pastoral (New Directions Paperbook ; 92)

 報告してみた感想としては、「玉砕」してしまったなあ、と。これはやはり、難しい。最終的に意見が一致したのは、「これは、かなり具体的な文脈を解きほぐしていかないと、分からないのでは」というもの。その流れで、「エンプソンに直接習った人のオーラル・ヒストリー」という案も出たが、もうほとんど生きてはいまい。

 ただ、ド・マンとイーグルトンのエンプソン論を紹介したお陰で、ある程度の読解枠組みは提示できた。会ではイーグルトンの旗色が悪かったものの、パストラル論は、危機の状況において、「大衆」との乖離と、一方でそれに飲みこまれてしまう恐怖感との間で言説をつむぐ知識人の、つまりエンプソン自身のアレゴリーであるという説には納得。この限りにおいて、矛盾や疎外の「最終解決」としてのパストラルやマルクス主義というド・マンの説とイーグルトンはそれほど離れたことを言っていないわけだ。ただ、ド・マンが「最終解決」を神経症的に否定しようとするのに対して*1エンプソンが採る戦略とはアイロニーによってそこから適切な距離をとり続けることである。そこからイーグルトンが出す、「ファシズム以前と以後の知識人としてのエンプソンとド・マン」という結論は神話的・疎外論的世界に舞いもどってしまうのだが。

 私としては、今年の前半に追求したテーマ(『ダロウェイ夫人』その他の同時代テクストにおける「都市の田園化」)は、エンプソンのパストラルと無関係ではないことが確認された。「都市の田園化」が、「田舎と都会」の想像的対立に仮託される「つねにすでに失われた有機体的社会」という近代の出口なきナラティヴへの「最終解決」をめざすものであったなら、エンプソンにとってパストラル/プロレタリア文学をささえる「哲学」もまたそのようなものであったのだ。この問題圏はウィリアムズはもちろん、ルカーチベンヤミンが共有したものであった。

 3月には、ウィリアムズ研究会を主体としてシンポジウムを行うことになったが、その時はこの問題系でしゃべろうと思う。

 呑む。歌う。

日曜日

 イギリス文化史教科書の研究会。これがメインのテクスト。

The Oxford English Literary History: 1960-2000: The Last of England

The Oxford English Literary History: 1960-2000: The Last of England

 問題点はいろいろと指摘されたものの、報告者の言った通り、20世紀後半をこういった形で「歴史」化する作業は手がつけられたばかりなのであって、あまりないものねだりをしても得る物は少ないというところか。

 私にとっての問題は、自分がなにを書けるかということ。

 呑む。歌う。

 これで仕事納め、には多分ならないが、これから大掃除と年賀状。

*1:と、書いてhidexiさんのエントリーを読み直し、「神経症的に否定」は間違っているんだろうなと思う。しかし、エンプソンとの対照という意味では、こうも言えるのかな、という程度の話。でも、これはかなりクリティカルな問題なので、引き続き考えたい。