田園都市

 風邪引いた。4月を乗り切ってようやくゴールデンウィーク、と気が抜けたせいか。そういえば、金曜の非常勤講師室で、声をからしてる先生がいたなあ。うつされたか。このままではゴールデンウィークの予定が丸つぶれ(って、ほとんど何も予定はないけど。研究を進めるのみ)。

「明日の田園都市」への誘い―ハワードの構想に発したその歴史と未来

「明日の田園都市」への誘い―ハワードの構想に発したその歴史と未来

 エベニーザー・ハワードと、彼の田園都市構想の紹介、その影響の紹介。かなり平易に書いてあり、すぐ読めます。予想通りだが、田園都市計画のイデオロギー的「意味」といった視点はなし。

 その「意味」については、ハワードの興味深いところは、彼は「都会と田舎」「都会と田園」という二項対立を設けて、田園を保存しようといった運動を行ったわけではなく、テクノロジーを駆使して両者を「結婚」させようとしたこと。自分を「発明家」と称し、蒸気機関車を発明したジョージ・スティーヴンソンを尊敬していたハワードは、単に近代の都市や産業、技術を否定するのではなく、それを徹底的に利用して理想郷を作ろうとした。それがよく表さされているのが、

Garden Cities of To-Morrow (The MIT Press)

Garden Cities of To-Morrow (The MIT Press)

この著書のイントロダクションに出てくる「三つの磁石」の図であろう(画像参照)。人びとを都市と田園に引きつける要素が上の二つの磁石。ハワードが理想とするのが、下の磁石で、「都市−田園」の結婚。その要素を見ると、「低賃料、高賃金、多様な活動(つまり、余暇の創出)、キャピタル・フロー」など、これって、ファシズム、というか、コーポラティズムの「約束」と接近している。この時代の都市計画とファシズムの接点については、やはりこの本。

Landscape and Englishness (Picturing History)

Landscape and Englishness (Picturing History)

 ちなみに先日書いたクラフ・ウィリアムズ=エリスはオズワルド・モーズリーと知り合い。

 話は戻って、田園都市計画については、日本におけるそれの話が面白かった(Garden cityが「田園都市」と訳されたいきさつについても)。田園調布と洗足に始まり、東急田園都市線ニュータウン……大学生のころにいた国立も、そういえば田園都市だなあ。正直、その「キレイさ」と、国立から排除された汚物は隣の立川や国分寺流入している(両方とも再開発が進んでいるのか)ことに、嫌悪感を覚えていたものだ。