「ニート」って言って大後悔

 教授会。今年の入試は、どうやら本学だけでなく、多くの大学が後半戦で苦戦しているらしく、残り少ないはずのまだ決まっていない学生をめぐって、血を血で洗う取り合いが始まっている。

『大航海』58号→http://www.shinshokan.co.jp/daikoukai/dai-back58-60.html#dai58

 ニート特集、の前に、大貫隆史「『教養主義』と『批評理論』」が、短い文章ながら必読である。ニューアカに乗り遅れた世代の立ち位置というものを、しみじみと考えさせる。

 ニート特集は、多くの記事が広い歴史的パースペクティヴで、一歩引いたところから「ニート」を論じていることが特色である。小谷野敦「『下等遊民』のイデアルテュプス」と仲正昌樹「スキゾ·キッズがニートになるまで」に注目。小谷野氏は玄田有史氏と、本ブログでも触れた『「ニート」って言うな!』の本田由紀氏の両者をバッサリ批判し、結論には「ニート」論争はそもそも「ニート」という言葉や格差社会に関する不安を煽る言説を広めた「新書文化」の副産物にすぎないと述べている。まあ、それを言ったらこの特集もそういった、「ニート」ばやりで小銭を稼ごうとする出版文化の一部なわけで、自己批判(?)が必要になるのだが。

 仲正氏の議論は、私が『「ニート」って言うな!』に感じた違和感を説明してくれている。要は、右も左も(という区分がここに至って有効かどうかは措くとして)若者が労働者とならない現象に加える説明は違っていても、「若者が『ちゃんと』労働者になるべきだ」という前提は共有しているということだ。