武者修行顛末

 はい、帰ってきました。ウェールズにて、Raymond Williamsの故郷Pandyでの実地調査、Swansea大学でのRaymond Williams Papers(の一部)のアーカイヴ調査、そしてシンポジウム発表と、実質現地3日間にぎりぎり一杯詰め込んだ日程でした。以下、まとめて。

10月13日
 移動日。夕方にロンドンについてそのまま泊。

10月14日
 まずはRaymond Williamsがグラマー・スクール時代を過ごしたAbergavennyをめざす。PaddingtonからNewportで乗り換え、3時間ほどの旅。

 ウェールズに入ったとたん、標識はすべて「ウェールズ語+英語」になります。

 そして、Abergavennyに到着。Raymond Williamsは1930年代、King Henry VIII's Grammar Schoolに行っていたのが、インフォメーションで聞いたところそのグラマー・スクールはその歴史上2度引っ越ししているらしい。しかし、30年代にどこだったか知りたいのだが、と言うとさっさと調べてくれる。

 ちなみに、この旅の間、当然のことながら「あんたらこんな田舎まで何しにきたん?」と聞かれることが多く、バカ正直に「いや、Raymond Williamsというwriterがいて……」と説明してまわったのだが、やはり認知率はそれほど高いとはいえない。一般人で知っていたのは、上記のインフォメーションの方と、Abergavennyで立ち寄った書店の店員くらいか。

 で、苦労しながら発見した、RWの通ったグラマー・スクール。

 現在は、the Drama Centreという施設になっており、道案内をしてくれたおばあさん(場所が分からなかったで、近くの教会の裏手で掃除をしていたおばあさんをつかまえて聞いた)によると、若者に演劇教育(演劇を通じた教育?)をしているらしい。Drama ProfessorであったRWとは、多分無関係だけど。

 そしていよいよPandyへ。Abergavennyからは5マイル程度。しかし、Border Country冒頭で家まで歩こうとしたMatthewは、結構な距離を歩こうとしたんだなあとか、その情景とかが直接分かることは、これはもうベタな経験主義で恐縮ではあるが、やはり現地を訪れたがゆえの収穫か。


 Pandyから望むthe Black Mountains。手前はAbergavenny-Hereford線で、RWの父、そしてHarry Priceが勤めたPandy駅はこのすぐ近くにあった。(しかし、やはり駅舎やsignal boxはすでになし。)

 泊まったホテル。この後Swanseaに行った時、Pandyに泊まったと言ったら決まって「泊まるとこあったの?」というひどい反応だったが、いやいや、いいホテルでしたよ。

 Pandy村には新道が貫通しており、在りし日の面影を想像するのは難しい状況にあった。(ちなみに、上のホテルの写真に写っている二車線の道が新道で、交通量もかなり多い。写真を撮っているのは新道と旧道が分かれる地点で、手前にわずかに写っているのが旧道である。)それでもRWの足跡を辿るべく、旧道↓を通って……

 そしてRaymond Williams生家へ。一応現在は一般住宅なので、おなじみのplaqueだけ。

 さらには、Dai Smithの伝記の裏表紙裏にある「在りし日のPandy」の地図を頼りに、RWが通った小学校の位置を探す。どうやら、このVillage Hallの敷地にあったようだ。(これは新道沿いで、旧道より新道は広がっているので、当然かつての小学校の敷地は新道に食われているのだと思う。)

 あとは、Pandyを流れるHonddu川とか、

 Pandy駅跡地探しとか。(上記の通り、結局は現在は存在せず。)

 なんというか、RWが暮らしたあの「田舎」の体感的なサイズ感というのがよくわかり、ああ、なるほど、と思う。

10月15日
 Swansea入り。ホテルまでは自力で行って、約束の時間に今回のオーガナイザーであるDanielが迎えに来てくれる。着いてみると、大きい。Swansea大学。そしてすごく活気のある大学だなあという印象を受ける。

 大学の中でも一番旧い建物。大学のうまい全景は撮れなかったのでこれで。

 この日はSwansea大学の所蔵するRaymond Williams Papersの調査。所蔵するといっても、まだ整理中で一般公開は1、2年先になるのだそうで、今回わざわざこちらのテーマに沿いそうなものを用意してくれていて感謝しきり。その実作業をやってくれて、当日もサポートしてくれたKatrinaには二重に感謝。

 しかし、半日でアーカイヴ調査なんて無理な相談で、今回は「雰囲気」を確かめる感じか。いや、利用できそうなものはそれなりに発見したのだが。アーカイヴが完成してから、一度腰を据えてとり組みに行きたい。

10月16日
 今回のメイン・イヴェントのシンポジウム。とにかく今回は、まがりなりにも「国際シンポジウム・デビュー」ということでハラハラでしたが、結果としては大好評(まあ、お世辞を差し引くとしても「大」を取ればいいくらい)の反応は得られたか。ともかくも、歓迎の雰囲気がありがたく、たとえば私よりも前のスピーカーたちが「ウェールズなまり」をつかみネタにしてバトンを渡してくれたおかげで「次は私のJapanese accentをご堪能ください」とかいってちゃんと笑いを取ることができて、比較的リラックスしてペーパーを読めたので有り難かった。(いや、こういったジョークを共有できる「経験」のありようというのが、ここにはあるのだ、と真面目に感動したりもしたわけですが。ジョークといえばペーパーの中に唯一仕込んだ笑いポイント──ま、ちょっと下ネタだったので卑怯ではあるが──がちゃんと受けて、もうそれだけで満足だったなんて言ったら不謹慎なので言いません。)

 シンポが終わって、今回のペーパーのパブリケーションについてDanielと話して、向こうの某誌に載せる算段をつけてくれるような話になり、これは予想もしなかった大収穫。まあ、査読誌なので分かりませんが。しかし、「経験」「疎外」「用語ではなく言葉」といった、Williamsに関してこちらで強調してきたようなキーワードが、ちゃんと共有されている(余計な説明は不要で、「ああ、そのことね」という感じで打てば響く)ことはすばらしく、おそらくイングランドではこうはいかないんだろうなあ、と勝手な想像をしてみる。あとは、これに続く「学術交流」プロジェクトの渡りもつけてきたので、その大役はなんとか果たせたというところか。

 うーん、もっと「内容」について書くべきことはあるのだけど、さすがに疲れすぎ。後日書く元気があれば書きます。というか、今回の経験は今後の研究とその発表に反映されることが確実なのでそちらで。

 あとは、泊まったホテルはSwanseaのUplandsというところにあったのだが、そのすぐ近くにはDylan Thomas Houseがあり、これは訪れておかなければ嘘だろう、ということで訪問。これまたDaniel談では、ここも個人所有になっており、(おそらくDylan Thomasのファンで)内装を1940年代の当時に完全に復元しているが、一般公開はせず大金を払えば泊まれるという、'odd situation'にあるという。


 Swanseaは神戸みたいに海辺に平地がちょっとあるだけで、あとはこの写真で分かる通り急な登り坂。その高台で、振り向いて見ればこんな夕焼けが旅の終わりをふんわりと包んでくれたのでありました。


〈後日談〉(というほど時間は経ってないが……)
 ウェールズの「名物」にcockles and laverbreadという料理がある。cocklesは辞書には「ザルガイ」などとあるが要は日本のアサリに近いもので、それをかなりしょっぱく塩漬けにしてある。Laverbreadは、これは正真正銘の海苔の加工品であって、日本の佃煮よりは甘くなく、もちろん醤油味もない形に加工したもの。それらを合わせたものを、Danielは「これぞウェールズ料理なり」と歓迎会で勧めてくれて、食べた私は「ああ、白いご飯が欲しい」と思ったという代物。思わずlaverbreadの缶詰めを見つけて買って帰りましたとさ。(ちなみに、ウェールズのlaverは日本に輸出されているそうで、日本の海苔の佃煮の原料には、場合によってはウェールズ産が入っているかもしれないのです。)


〈後日談その2〉
 これまでで最長の日数離れていた双子たち、帰ってきたときはどんな反応かと思いきや、第一声は「パパ、サンパツしてきたの?」……どんな長い散髪じゃ。まだ、時間の感覚がない模様。