ぶっちゃけ、サイード

Conversations With Edward Said

Conversations With Edward Said

 いいインタビューを読みました。

 1994年、ニューヨークのサイードのアパート(賃貸だったそうだ)でのインタビューで、後にチャンネル4のドキュメンタリー番組『エドワード・サイードとの対話』へと編集されたものの「未編集版」とでもいえる本。

 タリク・アリとサイードとの対話というから、さぞかし政治的にとんがった話が展開されるのかと思って読むと肩すかし。かなりリラックスした雰囲気で、「対話」というよりは「会話」という感じ。編集もそれを意識してか、アリの合いの手を引き継いで(中断して)サイードが語り始める、みたいな場面が多い(その結果、「...」が多い)。

 1994年はサイード白血病が発覚してから約3年後であり、サイード自身自伝を書き始めていた時期。それと呼応してか、サイードの子供時代から始まり、エジプトへの移住、ピアノ、アメリカへの移住と、かなり私的で伝記的な内容。

 アリというインタビュアーのおかげか、サイードの語り口は忌憚がない。力の入った「構え」がない。他の、時にはインタビュアーに対して論争的にさえなるインタビューとは大違い。例えばアラファトをこれほど誉めているサイードも珍しい気がする(返す刀でその戦略性のなさとかメディアを利用する技術のなかったことを、やはり批判しているが)。

 このインタビューだけの話ではないが、私はサイードの「非ルサンチマン的な思考」を尊敬して止まない。例えばこの本の後半でも語られるが、彼の『オリエンタリズム』がPC的誤読を加えられ、「白人作家の作品を読むなんて犯罪」といった議論に援用されてしまうことに対して、サイードジェイン・オースティン大好き、西洋音楽大好きということを隠しもしない。

 PC的なものが退潮し、逆に極端な「反PC」のバックラッシュが起こりつつある(起こっている)今、サイードの非ルサンチマン的思考は、思考のあり方のひとつの有益なモデルとなるだろう。

 面白かったのは、アリの最後の質問。曰く、

 「真剣な知識人であり、同時にダンディーであることは可能なのですか?」

 ちなみにアリは序文を、サイードがやけにおしゃれな人であったことから始めている。サイードの答えは読んでのお楽しみということで。