学問の不自由

 非常勤。『ダロウェイ夫人』の講義、学生に報告をやらせてみたら、かなりいける。冒頭の花屋のパストラル性と、それを断ち切る自動車のバックファイアの音の分析など、当然パストラルとかいう言葉は知らないけれども感性的にはちゃんとクリティカルなところを押さえていて感心。

 とまあ、教師が勝手に興奮して突っ走ってしまったせいか、9名登録しているはずのところ6名しかおらず。このコマは急遽の代打なので、ちょっと申し訳ない。

 夜は労組連合の代表者会議。いや、私が執行委員長をやっているというわけではなく、これも代打ですが。時節柄、議題は当然春闘について。つくづく、大手と中小大学との乖離の激しさを感じる。私は後者であって、某大手大の、他の大手私大より「少ない」ことを示すためのモデル年収の資料を見て、「少ない」と言われているその数字にはるかに届かない自分の境遇に歯がみしたくなるものの、いっぽうで、それでも大手(の労組)に頑張ってもらうことは重要というのは分かっているのでそのようなルサンチマンは抑圧。

 経営学の先生のレクチャー。どうにも経営学の用語体系に対する抵抗感が払拭できないものの、成果主義的な人事考課制度が組織全体の「利」を害することなど、実際的な戦略上は役に立つ議論。

 私も散々書類を書かされた、「大学評価」制度の最大の問題点は、「評価する人たちを評価する機関」が存在しないことだとのこと。なるほど。つまり、大学の第三者評価の書類の体系そのものに繰り込まれた評価基準は、一体誰が決めているのか、ということだ。書く側はもちろんそれを括弧に入れて書くしかないわけだが(とはいえ私は括弧に入れずに書いた気がするが)。現状においては、憲法がすべての法の絶対審級であることになっているのだから、大学の評価基準のひとつに「学問の自由」(憲法第23条)が確保されているか──そしてその自由は、第三者評価の評価基準そのものからの自由も含むべきなのだが──、という項目が含まれないのは決定的にまずいのではないかと思う。