リアリティ番組とデスゲームものの彼岸〜『ロブスター』(2015)

『哀れなるものたち』で話題沸騰?のヨルゴス・ランティモスの初英語作品。未見でした。

私、近著(『はたらく物語』『正義はどこへ行くのか』)でリアリティ番組とデスゲームものについてそれぞれ論じたのですが、その二つの関連性をしっかり論じられていないことに、これを観ながら気づきました。

というのもこの映画、完全に、ハリウッドであればマリブの豪邸に男女を集めて恋愛をさせるようなリアリティ番組と、日本であれば『バトル・ロワイアル』以来のデスゲームものの両者をごたまぜにしてパロディ化しつつ批判するような映画だからです。

異性愛が強制される近未来社会で、パートナーを失った主人公たちは豪邸に集められ、期限までにパートナーを見つけられないと動物に転生させられるという設定。主人公は転生先にロブスターを選ぶ。主人公は中盤でこの屋敷から逃亡し、森の中のレジスタンス集団(?)に所属するものの、今度はこのレジスタンス集団は恋愛を厳しく禁止していて……。といった物語が、ランティモスらしいかなりシュールな台詞やアクションで進められていく。

屋敷がリアリティ番組のパロディで、森のレジスタンスがその外部かと言えばそんなことはなく、あのような「反乱」はすでに映画的な物語ではお馴染みのものになっていて(『バトル・ロワイアル』そのものがそうだし、あとは『ハンガー・ゲーム』など)、この映画のアイロニーはそこにまで及ぶと考えるべきでしょう。

ポイントとしては、異性愛カップリングを極端に強制する社会とそれを禁止する社会のあわいで、主人公が「真の愛」を見いだす、という構図になっていたらそれはつまらないなあ、というところなのですが(そしてそのように読むことも可能にはなっているのですが)、その「愛」の表現が、大いに曖昧性もはらみつつ、並々ならぬものになっているところでしょうか。