震災を語る

 ふと、1年以上前、2011年5月に書いた文章のファイルを開けて、自分の文章ながら打たれてしまったので、ここに転載します。とある学会誌に寄せた随想ですが、まあ学会の性質からしても転載して構わないかと。

 この心持ちを忘れずに、と自分に宛てた文章であったのかもしれません。

■震災を語る


 言葉を失う。いや、むしろ言葉があふれてくる。テレビやパソコンのモニターを通して流れこむ情報のひとつひとつに反応して、言葉にならない言葉が、雑多な言葉たちが、去来する。しかしそれがひとつのまとまった文をなすことはない。
 このような巨大なものにどのような名をつけうるのか。「悲劇」。そう呼んだとたんに言葉から血が流れ出す。いやそれさえも比喩だ。
 それでも、私たちは語らねばならない。言葉はほころび、血を流す、それに畏怖しながら、語ろう。
 いや、まさに言葉がほころび、血を流すこと、これこそを私たちは見据えなければならないのではないか。これまで灰色の面持ちで泰然としていた言葉たちが、血を流し、混ざりあい、響きあう。言葉を失うとは、これまで普通の意味で使っていた言葉たちが、突然に刃となり、爆弾となり、ウイルスとなってしまったことに、悄然と立ち尽くす経験ではないか。
 レイモンド・ウィリアムズが、第二次世界大戦の戦場からケンブリッジに復員した際に、「彼らは違う言語を話している」と感じたのは、そのような経験だっただろう(『キーワード辞典』)。それは、階級や世代や性別の違いのことではない。人間による人間の大規模な破壊を目にしたウィリアムズには、安住すべき言葉の秩序はもうなかった。そのような秩序の崩壊の経験だ。
 しかしそれは、ウィリアムズがエグザイルであったことを意味しない。彼は、ひとり共同体から身をひきはがし、旅立つ人物ではなかった。そうであったら、その後の彼の、言葉との格闘はなかっただろう。言葉は共有される・普通の(ルビ:コモン)ものなのだから。
 震災と戦争を比較するという危険を冒しつつ私が示そうとしているのは、私たちが今、言い淀んでいるということだ。「悲劇」について、「社会」について、「自由」について、「田舎と都会」について、「生」について、「死」について、これらの言葉が意味で溢れかえっているような気がする瞬間と、がらんとした空虚に思える瞬間が交互に訪れる。いや、場合によってはそれらが同時に訪れる。眩暈がするのだ。そして言い淀む。
 言葉の意味とはすなわちその共有のありようなのだとすれば、おそらく、それらの瞬間のそれぞれにおいて、私たちは、自分が社会とつながっていると感じたり、そのつながりが幻想にしか思えなかったりしているのだろう。いや、いま仮に使った社会という言葉こそ、そのような意味の充溢と空虚に翻弄されている。
 ひとつだけ言えるとすれば、そのような言い淀み、眩暈、隔たりこそが、共有された経験である、ということだ。いや、得意顔で、怒り心頭で、または痛ましい顔をして、まっすぐに語る人たちはいる。しかし、ここでいう言い淀みは個人のものではない。得意顔のまっすぐな言葉もまたほころび、血を流す。その限りで、私たちは言い淀むのだ。言葉が共有されるのと同じ程度に、言い淀みも共有される。その共有を社会と呼ぶことは、ひとつの願望である。