精神分析はふつうである

 昨日は編集会議にかこつけた飲み、もしくは飲みにかこつけた編集会議。今日は同じ吉祥寺で、前に告知していたJuliet MacCannellさんを囲むワークショップ。

 実は、正直に告白すると、事前にもらっていたペーパーを読んで、「うーん、微妙……」と思っていた。本日の、特に質疑応答を経て、その感想は180度転回。とにかく、MacCannellさんは、精神分析の諸概念を駆使しつつも、「ふつうの経験」を手放さない点が徹底しており、北米の精神分析批評家にこのような人がいたのか、といううれしい驚きを覚えた。もちろんそれをポピュリズムといって退けることは簡単であるが、それをやっていたら精神分析はesoteric(本日のキーワード?)になる、というかesotericなものだと思いこまれ続けるだけだろう。それに対し、MacCannellさんは精神分析が「人の生」にまつわるものであることを、ねばり強く訴えているようで、希有な存在だと思う。最初は、質問することが期待されてるんだろうなあと思いつつちょっと腰が引けていたものの、一連のやりとりを聞いているうちにこれは大丈夫かもしれないということで、「70年代のラカンの変化を引き起こした、ポスト・エディプス的状況というのは、要は1968年の『挫折した革命』の後の状況だったのではないか。そう考えると、反革命としての新自由主義に対して70年代ラカンの理論は有効性を持ち得ないか?」みたいな質問をぶつけてみる。案の定、1968年説には即同意していただき(というかMacCannellさん、そのときフランスにいたそうな)、セミネール17巻でのラカンの議論で応答していただく。

 そんなこんなで、久しぶりにラカンを読もうか、と思わされた一日でした。とりあえずセミネール17巻だな。

The Other Side of Psychoanalysis (Seminar of Jacques Lacan)

The Other Side of Psychoanalysis (Seminar of Jacques Lacan)