スカラーシップ・ボーイ、必死。


 小ネタのつもりで「二つの文化」関連の資料を読み始めたらとまらず。

 じつのところ、C. P. スノウという人物についてはよく知らなかったわけだが(『二つの文化』以外には短編をすこし読んだくらいか)、この論争について非常に面白いのは、「二つの文化」論争は基本的に「スカラーシップ・ボーイたちの論争」だったということ。念頭にあるのはスノウ自身と、スノウに対する名誉毀損すれすれの批判をしたF. R. リーヴィス(実際出版社はそれを恐れてスノウに了承をとったのだが)。

 リーヴィスがスカラーシップ・ボーイであったことは承知していたが、彼はまだケンブリッジのピアノ屋の息子ということで、ちょっと微妙。スノウはレスターの下層中産階級出身で、奨学金を得てケンブリッジに「上京」(?)し、しかも人文学ではなく自然科学からキャリアをスタートしている。ある意味、典型的なスカラーシップ・ボーイ。なんだかそのような出自を考えただけでも、『二つの文化』におけるメリトクラシー擁護というのは、これはもう「必死」だなあ、と。メリトクラシーの階梯を必死で登ってそれなりの地位を得たスノウという人物のケチなプライドの全てが賭けられているのだなあ、と。そう、この論争の軸は「文系対理系」などというところにはなく、20世紀イギリスのメリトクラシーとそれをささえる教育制度にあるのだ。

 しかし、このスノウという人、「反動的」なモダニズムを否定してリアリズムを肯定していこうとする際のなりふり構わぬやり方には、「コイツ、小さな人間だなあ」という感慨を抑えることができない。自分自身と、自分の息のかかった連中を、着々と雑誌や新聞の書評子として送りこみ、文壇で戦線を張っていく様は(ノーベル賞を欲しがっていたという情報もあいまって)、上品とはいえない。

 それはともかく、対するリーヴィスであるが、彼は実のところスノウが標的とするような「伝統的/反近代的文学者」とはほど遠かったのだと思う。リチャーズからリーヴィスへの批評とはなんだったかといえば、それは「教養のメリトクラシー化」とでもいえるものだったのだから。つまり、「実践批評」って、要するに、教養がなくても技術的な精読で「英文学」ができるということだから。クロース・リーディングというのは、いまや反動としか見られないけど、革命的だったんですよ。たぶん。(というのはもうクリス・ボールディックが言ってるけど。)

 そんなわけでスノウとリーヴィスの間には同族嫌悪的な、それゆえに熾烈な感情が生じることになったわけだ。

 さらには、「批評理論」にもじつは、リーヴィス的な「英文学」と同じ側面があって、反教養主義的だったわけ。現代のスカラーシップ・ボーイズ&ガールズにとって「批評理論」は、出自から自由になってメリトクラシーの階梯を登るための武器たりえた。(ただし、「ソーカル事件」にいたって「批評理論」が言説的な硬直化、というか俗化をこうむって「教養」化してしまったことが明らかになったのだが。)

 ……というくらいの醒めた歴史意識なしに「批評理論」という抽象へのルサンチマンをまきちらし、文学の楽しみだとかサロン的なものへの郷愁に居直りたがる、知的にちょっと問題のある人たちがいまだに多くてため息をついたりするわけで、やはり「二つの文化」論争はおもしろい主題だなと再確認。