二つの文化

 発作的に始まった「寸鉄」カテゴリー、「寸鉄」ゆえにそれ以上の言葉はつけくわえません。ということで、レスもつけませんがご容赦を。

 翻訳×6、論文×2、口頭発表×2を同時並行的に、日々判で押したように進める日々。ああ、これがずっと続けばいいのに。

 本日はちょっと大学に行き、雑誌論文コピー。Commentaryの1962年6月号掲載の、Lionel Trillingによる「二つの文化」論争への介入の記事。まだ本文を読んでないものの、雑誌の現物に触れるとやはり「時代」が感じられておもしろい。たとえば、Commentaryはご存じの通りAmerican Jewish Committeeの雑誌であるが、毎号イスラエルへの客船の広告が入っていたり。$383からだそうです。当時の貨幣価値がわからんので高いのか安いのかわからんが。

 それはともかく、「二つの文化」論争がトランスアトランティックに飛び火しているのみならず、「冷戦」の問題でもあったことを直感する。というのも、Snowの講演自体がイギリス・アメリカ・ソ連の教育制度を比較し、ソ連による「第三世界」への技術援助に警鐘を鳴らしている(?)のはもちろん、当時のCommentaryの誌面を眺めると、"Cold War"の二語が出てこない号はないという様相であり、「二つの文化」論争はそのような文脈において受容されているからだ。

 あれですね。このネタで、シンポジウムが十分組めます。残念ながら今年がSnowの講演から50周年で、今年中にやるのは難しいけど。

 試しに、ヴァーチャル企画書を妄想──

シンポジウム:「二つの文化論争」今昔

(1)「二つの文化」とイギリス社会(メリトクラシー・高等教育・ウィルソンの"White Heat"などについて)
(2)「二つの文化」と文化批評の伝統(19世紀の専門家にお願いして、Arnold-Huxley論争などを)
(3)「二つの文化」と冷戦(アメリカの専門家にお願いして、トランスアトランティックな移動と冷戦との関係、アメリカのNY知識人の話など)
(4)「二つの文化」と現代(ソーカル事件から「第三の文化」とグローバリズム/ポスト冷戦へ)

 ほら、できた。企画にお困りの向きがありましたらご連絡ください。(盗んでもいいですけど。)