無力

 ここに来てToDoリストがずるずると伸びる、いけないサイクルに入ってきた。例の書類も急がねばならないし。

The Force of Art (Cultural Memory in the Present)

The Force of Art (Cultural Memory in the Present)

 月末締切のコラムにむけて、Ziarek本をもう一冊。これまた、イイ。

 なんともひねりのないタイトルに見えるだろうが、それに騙されてはいけない。ここに言う「芸術の力」とはあくまで「否定性」の力である。と言うとやはり誤解されそうだが、単に芸術の「無用の用」とかいう議論ではなくて、乱暴に図式化すると、その否定性は「肯定性/否定性」という二項対立のそもそもの外部であるという意味での否定性であり、Ziarekが「いまだ読まれぬアヴァンギャルド」からすくい出そうとするのは、そのような否定性を開示するという限りにおいてポジティヴな「力」である。その結果、芸術は「政治/芸術」「社会/芸術」という抽象=形而上学から脱し、芸術を純然たる「力」の水準へと差し戻す「力」をもつものとなる(はず。この一文に表れているように、Ziarekは「力」を二つの意味で使っている)。このような「とりあえずは否定的にしか表現できないもの」と取り組む姿勢=批評的姿勢にはやはり好感をもつ。

 と思ったら、この「芸術の力」の議論、今月のmelaniekさんのレクチャーにおける「超越論的唯物論」にみごとに一致してるじゃありませんか。質疑応答で適切にもhidexiさんが確認したように、「上と下の、さらに下」ではなくて、「上と下」に対する純然たる外部性であり、にもかかわらずその「上と下」を不気味に攪乱するもの。

 というわけで、これで読書は一段落ということにして、一気に原稿を書く。で、一気に書けちゃったので(締切は一週間先──奇跡的だ)、しばらく寝かせることとする。