告知とネタばらし

 風邪が微妙。しかし昨日は大学時代の友人たちを招いて自宅居酒屋開業。さらにその前日はジャズピアニストとして活躍中のこれまた大学時代の友人のライブ。みんなで「隔世の感」を抱きあい、ため息をつきあう。

 ところで告知など。「TAGTASフォーラム──条件なき大学──」でのレクチャーが今月の22日です。詳細はこちら

 そろそろネタ仕込みをせねばと腰をあげる。「前衛の系譜学」というタイトルでやるのだが、目的としては前衛「芸術」をやるのではなく、また政治的「前衛」をやるだけでもない、むしろその分断を「学び捨て」たところに前衛の現代的可能性を見いだそうということ。その点にゆらぎはないのだが、シリーズで話すとしてますどこから行くべきか。前衛論の古典的なところから順番に?と思ってまずこれを読む。

アヴァンギャルドの理論

アヴァンギャルドの理論

 アヴァンギャルドをロマン派以来の「近代の運動」として見る、という大筋はOKだが、まず問題になるのは「流派school」と「運動movement」の二項対立だろうか。ポッジョーリはロマン派以降の芸術運動を「流派/運動」に区分けしていき、後者に近代芸術を推進させる力を見いだすわけだが、それでいいのか。そこで想起されたのはウィリアムズの「ブルームズベリー派」論文。

Culture and Materialism (Radical Thinkers)

Culture and Materialism (Radical Thinkers)

 ウィリアムズの場合schoolでもmovementでもなくfractionなのだが、ポッジョーリがブルジョワ的と切って捨てている気配のschoolのmovement的側面を、ウィリアムズは重視している気がする。

 この路線の話をするか、もしくは「マルクス(主義)とアヴァンギャルド」という大問題に挑戦するか。その場合に重要なテクストはこれだろう。

失われた美学―マルクスとアヴァンギャルド (叢書・ウニベルシタス)

失われた美学―マルクスとアヴァンギャルド (叢書・ウニベルシタス)

 うーん、間に合うのかしら。まあ、これまで通り、なんとかするべ。