悪態について

 そろそろ卒論の締切(おかげさまで商売繁盛。16名。)が近づいてきて、それなりに忙しい。しかし、今年は去年より計画的にやってきたので楽。去年の今頃はノロウイルスにやられてパニックだったし(私ではなく指導学生が)。

 飲酒しながらふと、「悪態とホモソーシャリティ」というテーマを思いつく。

 悪態というのはりっぱなコミュニケーションのモードである。

 「バカ」と言われて快感、みたいな。

 指導教官と学生の間には、バカなことを言ってみたら「バカ」と言われて快感、という形で円滑なコミュニケーションがはかられる場合が多い。

 そこには、「越後屋、お前もワルよのう」「いえいえ、お代官様こそ」的なホモソーシャリティが成立している。

 はっきりいって私はそれが嫌いじゃないのだが。

 勢い、そのようなコミュニケーションが成立しない学生の前では緊張してしまう。「センセイ」を演じなきゃいけないので。

 そして文学研究者である私は、そのようなコミュニケーション・モードの文学的応用ということを考えてしまうのだが、その実例が全然思いつかない。

 いや、あるな。アイロニーという形式が。

 しかし、アイロニーの基本形式は「褒め殺し」であって、悪態ではないだろう。言いかえると、悪態はより高次のアイロニー形式であると言える。

 ホモソーシャリティの根幹にはそのようなアイロニー形式が埋めこまれているのでは、と直感してみたのだが、いかんせん具体例が思いつかない。もう寝よう。

 あ、鼻血はおかげさまで止まったみたいです。