だってストーカーですもの

Streetwalking the Metropolis: Women, the City and Modernity

Streetwalking the Metropolis: Women, the City and Modernity

 ふーむ。現在「フラヌール」は非歴史的に使われすぎであり、具体的歴史性をもったものとして扱われなければならない。その点、ボードレールベンヤミンの「フラヌール」はブルジョワ男性(の芸術家・ダンディー)が規範的モデルになっている、と。19世紀後半から20世紀にかけて女性が公共空間で一人歩きするのが可能になったという歴史を考えると、「フラヌーズ」の美学も可能ではないか、と。

 『ダロウェイ夫人』を論じているところを目当てに読んで、例のピーター・ウォルシュの「ストーキング」については、女性をストーキングする男性(しかも植民地官僚)というピーターのフラヌール像は、ブルジョワ男性をモデルとするフラヌール像のパロディであると。まあ、その通りです。

 しかし、イントロの結論、女性作家たちが、'urban narratives that present more organic cities than the utopian/dystopian representations by hegemonic male modernism; cities that follow natural, temporal, and social rhythms'を創造した、て酷いな。こりゃ。女性性=オーガニックでええんかい。それはいいとしてもジョイスはどうなるのよ、と思ったらやはりほとんど言及されてない。