雑感垂れ流し

 雑感オムニバス。

・土曜はオープンキャンパス、日・月と何ヶ月ぶりかの連休。夢のようだとぼんやりしていたら、日曜は子守りで終了。気づいてみれば来週に向けて仕事が山積み。

・こんな素敵な、というか痛い、というか何とも言えぬニュース。

「博士余り」解消へ「20%ルール」!?物理学会が提言
(読売新聞 - 07月16日 03:12)

 若手の研究者は、仕事時間の20%を自由に使って好きな研究を――。日本物理学会(坂東昌子会長)が、こんなユニークな提言を発表する。

 「20%ルール」は米企業「グーグル」などが取り入れて、社員のやる気を引き出しているが、学会が呼びかけるのは異例。背景には、博士号を取得しても、希望する研究職につけない「博士余り」の問題がある。若手博士の視野と発想力を広げ、企業など幅広い分野で活躍させるのが狙いだ。

 これまでの若手指導は、一つのテーマに集中することが良いとされる傾向があった。ただ、専門性の高さを「視野が狭い」「社会性がない」と企業側はみなし、博士の採用を敬遠。博士も企業と接点がなく、就職に積極的ではなかった。

 理系と文系でかなり事情が異なることはあるとしても(だって、博士号取って企業に就職なんてはなから誰も考えてない)、若手に研究時間を、という提言自体は(詳細はうっちゃるとして)涙が出そう。

 文学の場合、課程博士号取得者は増えつつあるものの、いまだ移行期で、取らないままに就職した「若手」もかなりいる。で、就職したら最後仕事まみれで博士論文を3年で書くなどとんでもない。というのが、ひとつの典型パターンであり、私もその道を邁進中。

・父が癌。まいった。早期発見だったからよかったものの。それでも。

地震。こういうときのニュースでの、ほぼ無用な細部(誰々が何々をしようとしていた時に崩れてきた壁の下敷きになった)は常に違和感を感じる。それを知ってもどうしようもない。冷酷な言い方をすれば、「何人死亡・何人けが」で十分なのだ。学生のころ、実名報道の是非についてのレポートを書いた際に、実名と匿名でニュースへの関心は変化しないといった研究を参照した記憶が。それでも無意味な細部を求めてしまうのが人間であり文学なのだなあ。

・そうそう、ご近所ブログでも取りあげられていた、こんなニュースも。

中教審:大学教員の研修義務付け答申 伊吹文科相

 中央教育審議会山崎正和会長)は9日、大学教員の授業内容や方法の改善を図るため、教員向けの組織的な研修を各大学に義務付けるよう伊吹文明文部科学相に答申した。文科省は近く大学設置基準など関係省令を改正し、来年4月から施行する。

 大学教員向けの組織的研修は「ファカルティー・ディベロップメント」(FD)と呼ばれ、すでに大学院では義務化。学部レベルでは全国国公私立大の約8割が実施している(文科省の05年度調査)。同省は「FDの中身が重要だ。実施するだけでなく教育内容の実際の改善につながるものにしてもらいたい」と説明する。

 中教審答申にはこの他、授業内容や成績評価方法などを示した授業計画(シラバス)の作成や公表の義務化なども盛り込まれている。【高山純二】

毎日新聞 2007年7月9日 19時51分

 3年勤めてみてよく分かったのだが、現在の大学とは「ネオリベ的切り捨てが官僚縦割り的上意下達で実行される」という一見矛盾するものが共存している場である。FDを義務化なんて、ヴォランティア活動を義務化するのと同じくらいの矛盾(ボーダーライン上の大学にとっては「中身をともなうFD」なんて言われなくてもやるし死活問題なわけで)。*1それでもそれを義務化する、という言語行為が重要なんでしょうな。

・子供たち。顔を見たらとりあえずにっこりしやがる。まいったぜ。姉は遅めのつかまり立ちから伝い歩きへ。妹はもっと遅めのハイハイ前進。

*1:そもそもFDを形骸化させてるのは誰じゃい、とだんだん腹が立ってきた。そのFD関連の書類書き──書類書きは水が低きに流れるがごとく書類を書ける人間に回ってくる──にまみれている身としては。