モダニティ再考

Geographies of Modernism

Geographies of Modernism

 第一章、Andreas Huyssen, 'Geographies of Modernism in a Globalizing World'を読む。本論集の枕としてかなり一般的な議論になっているのだが、いちいち頷きながら読む。

 アメリカにおけるポストモダニズム祭りのあとに訪れたのは、モダニティ再考の流れ。ヒュイッセンはジェイムソンのA Singular Modernityをその一里塚と見る。モダニティの一段階としてのグローバリゼーションとその文化を考える際、ヒュイッセンはhigh/lowの区分を(再)導入することを主張する。もちろん、西洋モダニズム期におけるhigh/lowではなく、輸出、輸入、翻訳を経て、再構成を受けたそれを。そうすることで、西洋/東洋、中心/周辺という単純な図式によりかかり、相変わらず国民文学・文化の均質性を保持したり、「カルスタ」的に文化をことごとく平坦に、「メディア」の問題としてしまったりすることが避けられる。

 去年までいじくり回していたリーヴィスに関して、私がやっていた(つもり)のことを言ってくれていて、ストンと腑に落ちる。

 実際、英文学の「移動」はその一番分かりやすい例だろう。インドにおける英文学、日本における英文学などを考えてみればhigh/low区分がいかに複雑な形で転移や翻訳を受けるかが分かる。それが分からない**な人が、英文学=輸入学問だからダメ、などとあいかわらず吼えてるみたいだがその話は後日。

 ところで'modernisms at large'がキーワードなのだが、これはもちろんArjun AppaduraiのModernity at Largeから。その翻訳、長らく品切れになっていて、探し続け、最近ようやく古本を手に入れたのだが、どうやら増刷されたみたい。まだ読んでないけど。

さまよえる近代―グローバル化の文化研究

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