某誌コラムのゲラ。今回は、それなりに気合いの入っている主題ですが、情報を盛り込むことに紙面を割かれ(って、もともと短いもんですが)、それなり。
次回はいよいよ「空間論的転回」について書こうかな。いよいよ、というのは、90年代以降の空間論的転回とそのゆくえは、かなり重大な問題だと思っているので。この辺の批評の歴史化を行わないことには、先に進めないだろうと。
枕としては、今読んでいる、Critical QuarterlyのModernist Spaces特集(2007年秋冬号)や、最近山ほど出ている「ジオモダ」(ジオグラフィーとモダニズム)ものか。
要は、空間論的転回はポスト冷戦=ポストヒストリーの袋小路を体現しているのではないか、と考えたとき、例えばこの本
- 作者: アルジュンアパデュライ,Arjun Appadurai,門田健一
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からこの本
- 作者: アントニオネグリ,マイケルハート,Antonio Negri,Michael Hardt,水嶋一憲,浜邦彦,酒井隆史,吉田俊実
- 出版社/メーカー: 以文社
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のラインが示すある意味ポジティヴなグローバリゼーション論が、いわば「他者」を欠いた思考になっており、そのせいかポジティヴなわりに元気の出ないものになっているという点を、どうするよ、みたいな話。他者を欠いているのはこれらの本のprescription的側面ではなく、グローバリゼーションのdescriptionですよ、と言えなくもないだろうが、それはprescription/descriptionという想像的二項対立に依って立つ話であって。
うん、まだよくまとまりませんがとりあえずメモ。