真珠湾を覚えていてね

 翻訳カテゴリーを始めるかどうか悩んだ理由のひとつに、翻訳を何か個人的才能による技芸のようにみなすことをしたくはなくて、ごく無味乾燥な技術の問題だろうということがあったのだが、実際、基本的な翻訳のクオリティは高校や予備校で教えられる「英文解釈」技術が土台となりうると思う。今回はその一例。

 'Remember Pearl Harbor'の法則というのがある。

 「真珠湾を覚えていろ」ではなく「真珠湾を忘れるな」と訳す。逆の意味の動詞を使い、否定文にすることで簡潔に意味が伝わるという話。これは'remember to do'と'remember doing'の違い(おお、予備校英語!)の時にも現れて、後者は普通に「〜したことを思い出す」でいいが、前者は「(これから)〜することを思い出す」じゃ分かりにくい。そこで「忘れずに〜する」と訳す、というやつ。(そういえば、以前'stop doing'と'stop to do'の違いを理解していない訳稿のゲラを見ることがあって、指摘したのにそのまま出版されたなあ……。)

 これ、単に肯定を否定に、否定を肯定にというだけではなく、応用範囲は広い。例えば、

The new society would be a martial society -- one formed around the same principles of training as the army.

 適当にウェブ上から拾ってきましたが(文脈なしではすごい文章だな)、訳してみると

新たな社会は軍隊的社会になるだろう──軍隊と同じ訓練の原理を軸に形成された社会に。

 ちょっと例が悪かったかもしれないが、'formed around'は「〜のまわりに」と直訳するより、ひっくり返して「〜を中心として」→「軸に」と訳した方が、この場合はよい。もちろん場合によっては「〜のまわりに」と訳した方がいいので、常に両方の可能性を考える。

 ほかにもいろいろありそうだが、空間的および時間的表現に多そうだ。'rest on'を「基づく」と訳すとか、'yet to do'は辞書では「まだ〜していない」だが文脈によっては「これから〜する」だとか。

追記:例の追加。Not surprisinglyを「当然のことであるが……」。
追記:もうひとつ追加。Including...という表現は「……も含んで」であるが、いつもそう訳していてはぎこちない。例えば、

A number of sociologists, including Georg Simmel and Robert Park, commented on the presence and significance of "the stranger" in the modern metropolis.

こんな文の場合、「ジンメルやパークを含む多数の社会学者が……」ではなく、社会学者という母集合がいて、ジンメルやパークがその代表格として挙げられているわけだから、ここは「ジンメルやパークその他の……」とやってしまう。これも一種の「パール・ハーバー」の手法か。