越えない

 授業が再開してしまい、その準備に追われる。学会準備が……ヤバイヤバイヤバイヤバイ

 と、気ばかり焦りながら授業の準備をしながら、気づいたら全然関係ない本を手にとっていたりして、困ったものだ。

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

あの戦場を越えて ―日本現代文学論

 田中和生。1974年生まれ。

 世代論の危険性は承知しつつ、やはり同い年であるという事実が気にならないといえばウソになる。その点、やはり「出発点を共有しているなあ」と思ってしまうのは気のせいかもしれないが、特に第三章「日本の『現代』文学を求めて──脱近代主義(ルビ:ポストモダニズム)とは別の仕方で」あたりには大変に共感をもつ。楽しい楽しいポストモダニズム祭りに乗り遅れた者たちに残されたのは「近代」の残骸であって、それとどう格闘、というか、そんな立派なものではなく、それとどう折り合いをつけて、少なくとも動物化には抵抗するくらいの近代主義の匂いはさせながら生きていくかということである(どういうこと?)。

 全体的な図式として、時に素朴疎外論に陥りがちなのは問題であるものの、この人いい人だなあ、という感想が残る。いや、評論家としての本人には誉め言葉にならないかも知れないが、文学者や評論家といえばキ○ガイじみた人たちと相場が決まっている中、いい人がいてもいいんじゃない? と無責任に思う。人というか、言説のあり方として。