政治的に正しいシェイクスピア

 晩酌しながら観たのは、

ヴェニスの商人 [DVD]

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 ユダヤシャイロックは悲劇的に描かれ、アントーニオとバッサーニオの同性愛関係のみならず、ポーシャとネリッサのそれも前面に出す演出。現代世界においては非常に「政治的に正しい」演出であって、正直つまらない。例えば、シャイロックが普遍的な法の下の公正を求めるあまり破滅する様を、キリスト教陣営のこじつけめいた「逆転劇」なしに示せれば(これは原作をいじる必要が出てくるけど)面白いのに。*1

 ところで、映画の最後のシークエンスでは、ジェシカが海辺に佇み、海上ではボートから水面に向かって矢を放つ人物たちの姿が描かれる。これに関してIzawaくん(22日の日記)が疑問を呈していたが、これは、あれですよ。第一幕のバッサーニオのせりふ。

BASSANIO. In my school-days, when I had lost one shaft,
  I shot his fellow of the self-same flight
  The self-same way, with more advised watch,
  To find the other forth; and by adventuring both
  I oft found both. I urge this childhood proof,
  Because what follows is pure innocence.
  I owe you much; and, like a wilful youth,
  That which I owe is lost; but if you please
  To shoot another arrow that self way
  Which you did shoot the first, I do not doubt,
  As I will watch the aim, or to find both,
  Or bring your latter hazard back again
  And thankfully rest debtor for the first.

 アントーニオに援助を頼む際のせりふ。学生時代に、無くした矢を見つけるために同じ方向にもう一度矢を放ったことがあったが、それと同じように今私に助けの矢をはなってくれ、そうすれば倍にして返しまっせ、と。これに、冒頭でアントーニオが「鬱だよう」と言うのに対して、サレーリオが、「いやいや、旦那の大きな船と比べれば、他の小舟なんて吹けば飛ぶくらいですよ」と励ますせりふも響いているかも。なんにせよ、結果的に劇全体を予告するせりふになっている。

 というわけであれは、矢を放つ人びと=キリスト教徒、魚=ユダヤ人という寓意ですな。「ハッピーエンド」の後に憂いの表情で、(売り払ったとシャイロックには告げられていた)生き形見の指輪に触れるジェシカ。「ユダヤ人の悲劇」の演出の一環だと思われます。

 追記:あと、ポーシャ役をグウィネス・パルトロウにするくらいのサーヴィス精神が欲しかった。

*1:まわりくどい言い方で誤解を招くといけないので注記しておくと、アメリカとイスラエルの蜜月関係がある限り、「ユダヤ人の悲劇」というナラティヴには何の批評性もないのである。一方で『ヴェニスの商人』になんらかの可能性があるとすれば、「法の下の平等」を盾に取るシャイロックが(詭弁とはいえ)その普遍的な法の下に裁かれたように、ナチスによるホロコーストが普遍的正義の観点から犯罪であったなら、イスラエルパレスチナにおける所業もその同じ基準で裁かれるべきだということを、示す可能性がある点だ。現代において批評性のあり得る『ヴェニスの商人』の翻案とは、したがって、シャイロックキリスト教共同体が共通の利害を持つようなプロットに仕立てなおすことかもしれない。ジェシカが鍵となるだろう。裁判の場面は、〈ユダヤ人〉対〈キリスト教徒〉ではなく、〈絶対的な法〉対〈共通の利害をもったユダヤ人とキリスト教徒〉という図式になるべきだろう。ポーシャに課せられた使命が、シャイロックとアントーニオの双方を裁きから救うことだとしたらどうなるか。誰かそういうのやってくれないかな。それとももうあったのだろうか。