もひとつ告知

 第二回モダニズム/モダニティ研究会の告知です。

<アナウンス>

 今回の研究会では、以下のふたつの研究発表を行います。ヴィクトリア朝モダニズムポストモダニズムを対象にした研究発表です。さまざまなバックグラウンドをもった研究者へ開かれたフォーラムとなり、活発な議論を呼び込むことを願ってやみません。

日時:2009年10月3日 13時〜18時

会場:慶應義塾大学三田キャンパス 研究室棟 B会議室(以下のサイトをご参照ください)http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html

                           佐藤元状(コーディネーター)
                               

<研究発表1>

モダニズムにおける有機体としての作家像にまつわる一考察

――世紀転換期のイギリス心理学を通じてみえてくるもの――

矢口朱美(慶應義塾大学

 フロイトによる死の欲動のアイデアに基づいて遠藤不比人氏が論じるように、T. S. エリオットにおいて伝統を体現する個人作家像は、有機体としては存在しえず、ポリティカルなアクチュアリティしかもちえないことになる(遠藤不比人「イギリス・モダニズム文学と精神分析――その間テクスト性の再吟味」トランスアトランティック・モダニズム研究会における口頭発表、2009年7月4日、於:一橋大学)。それでは何がエリオットらモダニスト作家の想像力を、そうした有機体としての作家像へとみちびいたのであろうか。本発表ではその原動力を、フロイト以前にイギリスで生まれ発展した世紀転換期の心理学、特にジェイムズ・サリーの発達心理学とその文化的影響力に求め、両者の間の理論的布置を考察することで、エリオットやウルフらにおける有機体としての作家像のレトリックを読み解くためのひとつの方法を提示してみたいと思う。そうすることで、モダニズムを特徴づけるこの言説に、文学と科学、十九世紀と二十世紀、イギリスとドイツ、心理学と精神分析学が織りなす異種混交的な効果を読み取るためのひとつの糸口としたい。


<研究発表2>

自己と他者、モノ(物質世界)と言葉と人間 ―― A. S. バイヤットの一例を通して

迫 桂(慶応義塾大学経済学部)

 本研究会前回の集まりにおいて秦邦生氏が概観したように、2000年代以降、複数の研究領域においてaffectが注目されると同時に、emotion, sense, experienceについても関心が高まっています。文学研究でこの動向を促したものの一部は、1960年代から顕著になった言語・言説中心の創作・批評風土、また、そこに潜在する自己中心・完結的な表象実践、及び極度な相対主義への反省だといえます。この表れのひとつが、2000年以降に現れたThing Theoryと呼ばれる批評動向で、Bill Brownの ‘Thing Thoery’ (Critical Inquiry, 2001)はその代表といえるでしょう。これらの批評はしばしばモダニズム作品を主要な参照点にしつつも、文学テキストに現れるモノに注目しながら表象の性質や行為といった問題そのものを再考する意義を含んでいます。

 この動向を受けて本発表では、1960年代から創作活動を続けるA. S. Byattの作品(主にThe Biographer’s Tale (2000))を題材に、ポストモダニズム最盛期以降の時代における、モノ(物質世界)、言葉、人間の関係、そして表象の意味について考えたいと思います。20世紀後半以降の文学界の変遷の渦中で書き続けてきたByattの作品には、自己と他者の関係についての思索があふれ、また、モノ世界への極めて強い意識が顕著に見られます。物質世界への視線が、現在の文学または文学批評にどのような可能性と問題を示しているのか、という問いを投げかけ、出席者の皆さまからいろいろなご意見を伺えれば、と思います。