国家人間力教

 恐ろしい記事を見た。以前触れた、「人間力」に関する件。

 以下、毎日新聞の記事から引用。

 「若者の人間力を高めるための国民運動」のイベントが26日、東京都千代田区東京国際フォーラムであり、タレント・眞鍋かをりさんと五輪柔道三連覇の野村忠宏さんが若者にエールを送り、歌手の川嶋あいさんが応援ミニライブを開いた。
 ニートや引きこもりなど問題が増えている若者を支援しようと、経済界や労働界などでつくる「同国民会議」(議長、奥田碩経団連会長)が主催。眞鍋さんは「若者サポーター」として、参加した約300人の若者らに「社会に出て大人として働くためには、能力よりも先に人間力が必要。若者のみなさんは、自信を持って、人間力を高めて、生き生きとした生活を送って」と呼びかけた。また、野村さんは「目標を持って自分を奮い立たせてください」と訴えた。
 その後、若者と識者らのトークセッションがあり、川嶋あいさんが熱唱し、「夢を一つは持って、火の中に飛び込む意気込みでがんばって」と激励した。

 これ、一体何のイヴェントの場面に見えます? ちょっと、断片的に引用し直してみる。

「『若者の人間力を高めるための国民運動』」

「若者のみなさんは、自信を持って、人間力を高めて、生き生きとした生活を送って」

「夢を一つは持って、火の中に飛び込む意気込みでがんばって」

 どう見ても、何かの宗教団体のイヴェントか、ひところ話題となった「自己啓発セミナー」のようである。「人間力」という、わけのわからない解釈不能な単語が過剰な意味を乗せられて連呼されている。眞鍋によれば、「人間力」は「能力」より先に身につけるべきものであって、ということは少なくとも「能力」ではないらしい。しかし、それはネガティヴな定義であって、「人間力」の内実はやはり不明である。つまるところ、「人間力」を「宇宙エネルギー」とか、「波動パワー」とかに置きかえても、これらの陳述は意味論的に変化ないと言ってもよい。

 以前警鐘を発しておいた、パラノイア的な「がんばれ」に、「国民運動」というおどろおどろしい単語が加わっている。これはヤバイ。

 端的に言って、国家がニートという問題に対してなすべきことは、個人の人間性(「人間力」という言葉が指すのがそれであるとして)に介入することではなく、雇用を創出することにつきる。それがなぜいつの間にか、「人間力」などというバカげたものに取って代わられたのか?

 あ、ひょっとして、「人間力」がない状態というのは、人間ではないということなのか?だとすれば、この「国民運動」と「国民会議」は、ニートは早く人間になれと言っているのか?「人間力を高めて、がんばれ」と善意で言っているように見えるこの有名人達は、そこはかとない満足感を抱いているように思えてならないのだが、それは気のせいか?「火の中に飛び込む意気込みで」という言葉に、「まあ、君たち人間力足らないんだから、せめて自分の身を焼くリスクを犯しても何かひとつくらいやったら?どうなっても責任取らないけど」という響きを聞き取ってしまう私は、ちょっとした妄想質なのか?

 わからない。でも、ひたすら、恐ろしい。