歴史のなかの文学・芸術―参加の文化としてのファシズムを考える (河合ブックレット)
- 作者: 池田浩士
- 出版社/メーカー: 河合文化教育研究所
- 発売日: 2003/12/01
- メディア: 単行本
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「ファシズム」というとなんだかものすごい独裁者がいて、思想統制や粛正をする寒々しい時代と思われがちだし、そのイメージは定期的に製作されるファシズムものの映画によって再生産されているが、それは、歴史的に正しくない。
1930年代に30歳くらいだったドイツ人への聞き取り調査の結果、多くの人は「第三帝国が一番良い時代だった」と答えたそうである。しかも、その調査は「第三帝国」が世界史上もっともおぞましい時代だったという評価が確定した、1970年代に行われたものである。それにもかかわらず、この人たちは「一番良い時代だった」と答えたのだ。
なぜか。もちろん、40パーセントを超えた完全失業率を、ナチ党は戦争をおっぱじめることによって解消した、ということはあるのだが、文化の面から見ると、この池田浩士氏の書名にあるように、ファシズムの文化は「参加の文化」だったのだ。
代表的な例が「ティングシュピール」という野外劇であり、アウトバーン建設における「ボランティア労働」であり、ヒトラー・ユーゲントである。それらに自発的に参加することで人びとは、有意味な参加の充実感を味わい、生きる意味を見いだしたというわけ。
この「自発性」というものを、現在の視点から見て、「だまされてたのね」と切って捨てることはできない。少なくとも主観的には、ナチはそれに参加した人々を「幸福」にしたのだから。
もちろん池田氏は「だからファシズムはよかった」と言いたいわけではなく、そのような必然性をもってファシズムは生まれたのであり、正邪の判断の前にそのメカニズムを理解しなければならないと主張しているのだ。そのような知性のあり方には共感を覚える。
(ちなみにこの本のあとがきで、池田氏が「ドイツに行ったことのないドイツ研究者」であることを知り、感銘を受ける。いや、すばらしい。)
ちなみに、ファシズムがなかったとされるイギリスでも(オズワルド・モーズリーという人がファシスト党を作ったけど、それは事実上失敗)、実は当時「参加の文化」が大はやりだった。野外劇(pageant, パジェント)という、歴史劇なんかを民衆が参加して製作する催し。これが、驚くほどの規模(ものによっては50万人規模の観衆を集めた)で行われていた。
ひるがえって、現在の日本でもこの「参加の文化」が流行している。ボランティアとか、よさこい祭りとか、匿名掲示板での「祭り」とか。かく言う私、よさこいサークルの顧問だったりするのですが(ハンコ押してるだけだけど)。