パラノ先生

 昨日は授業3つに会議二つ。ぐったりばったり。

 で、本日は4月から通ってる教習所に。

 もう第二段階も大詰め、本日は「山岳教習」なる二時間連続の教習でした。これ、「地域の特性に応じた項目」とかいうもので、私の住んでいる、山に囲まれた京都では「山岳教習」になるみたいです。雪の多いところでは雪道の運転(でも、1年中できるわけじゃないよな)とか、都市部では高速とかになるんだろうか。

 大学でものを教えながら教習所では生徒、という二重生活は、非常におもしろい。でも、教わる立場の時の不満も含めた感覚を、自分が教えるときに役立てよう、なんていう殊勝なことは決して考えないんだけど。

 ものを教えるということは、教えている自分という主体以外の自分(毎晩酔っぱらってる自分とか、大学の時には授業にほとんど出なかった自分とか)を「棚に上げる」ところから始まるのです。

 なんて言うと怒られるんだろうな。教師たるもの、生活のあらゆる側面において模範たるべし、なんて。

 まあ、それでできる人はやっていただくとして、単に、私には無理です。それに、頼むからそれを学生に押しつけて神経症にしないで。

  • -

斎藤環「負けた」教の信者たち
吉川洋ケインズ
好村冨士彦『遊歩者の視線──ベンヤミンを読む』
橋本治『蝶のゆくえ』

以上、研究費購入。斎藤本は北の国からの推薦で。ケインズ勉強しなきゃ、と思いつつ、とりあえず概説書から。