脳みそぐるり

ムーたち(2) (モーニング KC)

ムーたち(2) (モーニング KC)

 id:hidexiさんのところで触れられていて、気になってしようがなかったので読む。以下ネタバレ注意。

 こりゃ、すごい。笑った笑った。笑うといっても、「脳みそに手を突っ込まれてぐるぐるかき回され、それがくすぐったくて笑っちゃう」感じ(って、どんな感じ?)。くすぐり。けたり。(読んでない人には意味不明だな。)

 斎藤環さんの解説も秀逸で、腑に落ちた。そう、このマンガの基本的な手法とは、「ゲームのルールを死ぬほど徹底したらどうなるか」というデフォルメなのである。ただしゲームというものは仮想なわけではなく、人間のコミュニケーションは一定のルールを成立させた後に始まる一種のゲームなのであってみれば、この作品はそのような日常性と見事に地続きなわけである。

 子供はそういったルールづくりの天才である。子供の遊び方を見ていると、物を箱に詰め続けるとか、歩道のタイルを一つ飛ばしで歩き続けるとか、自分の中でルールを設定した上で遊んでいる。というか、遊びは、無からルールを創出するところから始まる。大人になると、この、何もないところに不条理にルールを作り出すという行為が苦手になっていく。作品の中で、子供のムー夫がしばしば父のミノルに、変幻自在なルールの創出によって圧勝するのは当然である。

 その原理を見事に逆手にとったのが、40話の「脱死角」であろうか。かくれんぼをしている二人。「物がなければもっと早く見つけられるのに」といって、物のない状態でのかくれんぼを想像する。地平線の向こうに隠れるしかなくなると思いきや、「地球も物だよね」と地球を消す。さらには「ボク自身も物だよね」と、ムー夫も消える。相手は、「無」のなかで「もういーよー」と言い続ける。これは、「物の影に隠れる」というかくれんぼのルールを消滅させ、さらにはその過程で少なくとも二人いないとゲームが始まらないというルールというか、メタルールまでも消滅させているわけだ。この、メタルールを消滅させてみせる瞬間に、「脳みそかき回された感じ」がするのだ。

 第一巻も読みたい、と思ったら、絶版でプレミア価格。