『Saltburn』(2023)

突然ですが、ずっと放っておいたこのブログ、ちょっと復活させてみようと思います。読んだ本や観た映画など、そのままにしていてももったいないというか、これまではTwitter(現X)をほとんどメモ代わりにしていたのですが、もう少しまとまった感想をメモして行きたいなというのがあり。

ということで新たに読んだり観たりしたもの、再読・再見したものを取り混ぜつつ、書いていきたいと思います。でも、今回でまた終わるかもしれません(笑)。あまりちゃんと書こうとすると続かない気もするので、あくまで感想のメモということで。ネタバレは全開となりますので、注意してください。

まずは、『プロミシング・ヤング・ウーマン』で華々しく監督デビューしたエメラルド・フェネル監督の『Saltburn』。途中で触れられるので意識的だと思いますが、イヴリン・ウォー『ブライズヘッド再訪』の現代版ですね。または『モーリス』。

現代版、というのが、主人公が非リア充的、弱者男性的人物だという点でしょう。バリー・キオーガンの怪演/快演が鈍い光を放っています。

『プロミシング』と合わせて、フェネル監督の傾向性が見えてきたように思うのですが、とにかく観客が登場人物との距離感をどうとっていいか分からないようにするのですよね。特に主人公とどう距離を取っていいのか、最初から最後まで分からない。これは批判ではなく、そこが面白いということです。

で、(以下猛烈にネタバレ)上記の弱者男性性というものが二重だか三重にひねられています。それは現代版『ブライズヘッド』たる本作に仕組まれた階級の要素によるひねりです。主人公オリヴァーは、マージーサイドのかなり平凡な中流(決してアッパーミドルではなく、ロウワーミドルとも言い切れない感じの微妙な中流だと感じました)出身であることを隠し、むしろ労働者階級もしくはアンダークラスであると嘘をつくことで、上流階級フェリックスの歓心を惹きつけます。

この辺のひねりは、『アウェイデイズ』という映画を思い出しました。アンダークラスに入ることで覇権的男性性を手に入れたいワナビーアンダークラス的感情。またはもっとさかのぼるなら『モーリス』や『チャタレイ夫人の恋人』のような、労働者階級の性的なロマン化ですね。これはイギリスではかなりおなじみの感情構造です。(この辺については文庫化された村山敏勝さんの本を!)

オリヴァーはそういう感情構造を利用してフェリックスを騙していたわけですが、途中で本気で好きになっちゃったというわけですよね。この辺の機微、スリラー的なナラティヴのせいであまりグッとくるものになっていないように私は思ったんですけどいかがでしょうか。少なくとも『プロミシング』並の爽快感を最後の種明かしが与えることはなかった。

ともかくも、オリヴァーはある種の階級的反乱/復讐を成し遂げはするんですが、最終的にはそれをする動機が弱くね?という元も子もない感想を抱いてしまいました。