すごく久しぶりにお空。家も平常営業に戻り、パソコンはお古でなんとかなっているものの、今日は体調がすぐれず、絶不調の非常勤。『アイタタ』は第五章(村山さんの章)で、授業で扱うのは初めてだったが、同性愛に階級問題を持ちこむという、ある意味では分かりやすい狙いを、膨大な読書量を背景に(そのすごみはある程度勉強していないと分からない、というのがイヤミだが)ぐいぐい論じるという感じ、迫力あるなあ。しかし、「社会主義友愛派(フェビアン)」にせよ、「閉鎖的同性愛サークル(ブルームズベリー)」にせよ、所詮ブルジョワ・ラディカリズムなわけで、じゃあ労働者階級はどうなんのよ、と思ったら『モーリス』における想像的解決を示して、逆にそれまでの議論の限界を示すという結構になっているのでありました。
ここのところはこの辺を読み進める。
Border Country: Raymond Williams in Adult Education
- 作者: John McLlroy,Sallie Westwood
- 出版社/メーカー: Natl Inst of Adult Continuing
- 発売日: 1993/01/01
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The Emergence of Cultural Studies: Adult Education, Cultural Politics and the 'English' Question
- 作者: Tom Steele
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いずれも、現在「カルチュラル・スタディーズ」と呼ばれるものの源流が、大学(英文科)であるという説を拒否し、成人教育にその系譜を見るという点では一致。
特に後者は、戦前からWEA内部にあった、「労働者階級教育」に重点を置く傾向と、「国民教育」に重点を置く傾向が、いかにして後者の勝利に終わるかという物語であり、エスティ的な系譜とも呼応する(してしまう)。これにどう反論するか。