文化と社会を読む 批評キーワード辞典

 こちらの本、もうすぐ発売となります。

文化と社会を読む 批評キーワード辞典

文化と社会を読む 批評キーワード辞典

 言うまでもなく、レイモンド・ウィリアムズの『キーワード辞典』の精神で、現在のキーワードを論じたものです。その「精神」とは何かということですが、まずは「ことば」の変化が社会の変化を反映しているという観点でしょうか。つまり、「批評キーワード辞典」と題してはいますが、本書は専門的な批評用語の辞典ではなく、日常的に使われているとおぼしき「ことば」の用法が何を語っているか、ということを柱にしています。

 それだけでは不十分で、重要なのは、それらの「ことば」はわたしたちが使っており、また使うことによって変化をさせている、またこれからも変化させうる「ことば」であるという点です。つまり本書は決して、客観的に身を引き離してことばの用法を記述するものではなく、筆者たち自身が巻きこまれたプロセスを重要な形で表すような「ことば」を論じているということです。そして、ことばを変化させることとは、わたしたちの文化と社会を変化させ、成長させることにほかなりません。

 個人的な感慨になりますが、また少々大げさですが、この仕事はわたし(たち?)の精神史のひとつの到達点であるように感じています。わたしが学生から大学院生であったころの「批評理論」とは、基本的には反ヒューマニズムでした。人間の主体に最終的な信を置くことがどうにも難しい状況でした。これは、故なき――歴史なき――ことではないでしょう。これまた大げさに言うと、人間主体が信用ならないというのは、20世紀の歴史のひとつの結論だったからです。

 しかし、それでよいのか。よいはずがない。それが正しいとしてしまうと、わたしたちは未来を見ることができないだけでなく、同時にその未来を見ることを可能にする、過去の人間の営みを否定することになってしまう。本書を支えるものがあるとして、それはそのような気持ち以外ではありえないように思います。今、「20世紀の歴史のひとつの結論」と述べましたが、ウィリアムズであればこの言い方には断固反対するでしょう。『現代の悲劇』から引用しておきます。この一節は、上記の「精神」をもっとも力強く述べています。

しかし、強制収容所を極限状態のイメージにたとえることが、そもそも不敬である。確かに人間の手で強制収容所は作られたが、その一方で危険を覚悟の上で、それを壊そうとして命を落とした人間もいた。投獄される人がいるときには、釈放される人もいる。人間がこれやあれやの悪を生み出すときには、いつもきまって、それを終わらせようと戦う人間がいた。人間の行為の一面だけを見て、それが究極の心理だと言うのは、その代償として人間の営みのほかの事実一切を隠蔽するのにひとしい。(山田雄三訳)

 『批評キーワード辞典』が少しでもこの精神に肉薄できていることを、そしてそのように読まれることを願っています。