- 作者: トッド・デュフレーヌ,遠藤不比人
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2010/07/24
- メディア: 単行本
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ご恵贈いただきました。ありがとうございます。精神分析批判の書をこの方が訳すとは……。という反応は織り込み済みの訳業でしょう。
同時に、『Web英語青年』の連載も。
http://www.kenkyusha.co.jp/modules/03_webeigo/
「戦争」という言葉についての見事な介入的考察です。
なんだか、この連載に関しては、「日頃小難しいこと言ってる連中がこんなに平易に書けるとは思わなかった」的な反応が風のうわさで聞こえてくるのだけれど、いや、平易に書くくらいできますよ。よく、「平易に書くのが一番難しい」と言うけど、あれは嘘で、平易に書けない人は何も書けないというだけ。
昨日は新自由主義研究会。今回の論文はアメリカのニューレフトと60年代カウンター・カルチャーが、リベラルな想像力への訴えと、その帰結としてのマジカルなものの希求を共有しており、それが70年代以降の批評の無批判的前提になっているという話。それが、文化左翼と社会左翼との分断の系譜と重なる。昨日も言ったが、フーコー、新歴史主義、カルスタ、ポスコロなど十把一絡げに上記の枠組みで批判してしまっては、ソーカル事件の反復にすぎなくなってしまう恐れがないか。ソーカルの問題は、文化左翼批判は正しいとしても、それをする自分たちは「旧左翼だ」と居直ってしまったことである。文化左翼的な感情構造が支配的であるとして、それは一定の必然性をもっているというか、そのこと自体を指摘するだけではどうしようもない類のことであり、なすべきはそのような支配的現在をつくりあげた系譜をときほぐすことだろう。論文の本来の目的はそこにあるんだけど。