RWカンファレンス終了

 昨日のシンポを含む一連のイヴェント、無事終了。

 あまりにも濃密な数日間で、まだうまく言語化できない感じはあるが、ともかくも、去年のスウォンジーでのシンポから連続してきた、日本とウェールズの知的なつながり、そして人間関係にとどまらない問題意識の共有と発展ができたという意味では、大成功だったと思う。

 私はopening remarksで、ウェールズと日本とのあいだにこのようなつながりが可能になることには歴史的必然性があり、それは大きくは、産業化によってさまざまな分断の経験を強いられていることによると、トム・ネアンの「死せる中心」論を引きつつ述べたのだが、その一方で、ウェールズと日本とのあいだには、大きな違いも存在する。今回よく分かったのは、その違いのうち重要なものは二つであり、ひとつは(労働者)階級文化とコミュニティの関係のあり方、そしてもうひとつはナショナリズムの位置づけだろう。

 特に後者についてエピソード的に述べると、ダニエル・ウィリアムズが雑談で「日本の街ではおどろくほど国旗を見ないのだけど、なぜ?」と聞いてきたのだが、言われてみると、そうなのだ。日本における国旗の神聖視とタブー化は表裏一体であって、そこには帝国日本の記憶が強い感情を備給させている。「左翼」にとって国旗、というよりそれが象徴するナショナルなものは前提的な忌避の対象である(その前提を否定すると、自動的に「右」に入るような言説構造になっている)。ダニエルに言わせれば、こうである。いわく、左翼が国旗を自分たちのものとして取り返す、なんてことはあり得ないのか? これはたしかに日本では考えられないことである。

 そこでひとつめの違い、つまり労働者階級文化とコミュニティの問題に返ると、ウェールズではこれとナショナリズムが矛盾する場合が多いというのが、決定的に重要だろう。ダニエルが(これまた雑談で)挙げていた典型例は、1870年の教育法である。ウェールズの労働者にとっては、これは初等教育を普遍化したということで、歓迎すべき変化だったが、文化ナショナリスト(すなわちウェールズ語の保存論者)にとっては、「イングランド語」の普遍化を意味しており、破壊的な出来事だった。このように、ウェールズでは「ナショナルなもの」と労働者階級コミュニティ、そして文化ナショナリズムという三つの項が、複雑にからみあっている。

 とまあ、以上がウェールズの「ひきさかれ」の重要な様態なのだ。ちなみにダニエルは同じ雑談で、ウェールズと日本が多言語的思考を強いられている点で似ているという私の指摘に対して、同意しつつも、でも、私たちは日本語を生きのこらせるために意識的な努力を強いられていない点で恵まれてるでしょ?と批判したのだが、それはある水準では正しい。ウェールズ語を生きのこらせるためのダニエルの意識的な努力というものは、想像を絶する(ダニエルはウェールズ語母語)。でも、少しレンズの倍率を変えれば、日本も同じような状況かもしれない。私のような日本の外国文学研究者は、じつは豊饒な日本語文化にあぐらをかいてきたのだが、昨今の外国文学研究の凋落は、そのまま日本語文化の貧困化を意味しているかもしれないのだから。

 とまあ雑談の話ばかりで恐縮だが、シンポ本体はへたくそなまとめもしたくないのでこんなところで。(余裕があれば後日。今日のところは印象記にとどめます。)

 ところでウェールズ人といえばおしゃべりで歌と酒が好きみたいなステレオタイプがあるが、どうもこれは単なるステレオタイプではないらしく、昨日のシンポの後延々と飲みつづけ、歌い続けて今日は始発で帰宅。1時間だけ寝て休日出勤。そして今。疲労困憊。寝ます。