がっかい

 はい、神戸より帰ってきました。

 いつもながら、英文学会って、独特の雰囲気があるなあ。とりあえず、来たらすぐ帰りたくなる感じ。

 「50年代シンポ」については、浮かんでくるのは反省点ばかりだし、まあいろんな悪口言われてるんだろうけど、個人的には次に進むべき道が見えてきたのでOKです。私の話は、あれは、気づいた人は気づいただろうけど、これまでのウィリアムズ読解に「新自由主義読書会」の成果をぜんぶぶちこんだわけです。というわけで、RW研究会と新自由主義読書会に捧ぐ。

 しかし、いっつもいっつもいっつも思うのだが、なぜ「わからないこと」をやっちゃいけないのだろうか。いや、研究発表というのは、「調べたらわかったこと」を報告するんだから、わかるように提示せよということだろうが、本当に、研究発表は「わかったこと」を提示する場なのか。特に人文学的な知については、それは当てはまらないと思う。当人が「わからないこと」にぶち当たって、それと格闘する姿をさらし、それをさらすことで共に新たな知の地平や「共通文化」を切り開くというのではだめなのか。(とはいえ、「一定の水準」を超えたところでそれをやる必要があるのはもちろんだけど。)たぶんそこには学会の発表方法に形式的な限界があって、もうすこし、ワークショップ風にやるとか、討論会形式にするとか、考えてもいいだろう。(いや、そんな形式的なことは問題ではなく、「卓越化競争スパイラル」を生み出す感情構造こそが問題なのだろうけど。これは深刻な問題で、業界内で勝った負けたとやっているうちに全員負けていた、というパターンを生み出す、典型的な落とし穴なわけ。)*1

 というのは愚痴の類であり、忘れさられた50年代が、いかに忘れさられたのかという系譜学において、ペリー・アンダーソン→アルチュセールというラインが問題かもしれないということが分かってきたので、次はそっちに向かおう。アンダーソンはこれまた名前は知っていても読む人の少ない人だろうが、読む人が少ないのに/ゆえに重要な黒幕かもしれん。

 二日目の特別シンポ。ある程度事前に内容は知っていたが、これは記念碑的シンポである。身内びいきやお世辞はぬきで。

 というわけで、絶対に最初に手を挙げて質問してやる、と心に決めて手を挙げ、立ち上がったとたん、めずらしくも上がってしまい、ベロベロに。いやあ、なんだか。前日のシンポではかけらも緊張しなかったのに。でも、普段はふてぶてしくてえらそうな(と、今回も言われました)shintakにもちょっとかわいいところがあると、見なおしてもらえたかもしれないので良しとしよう。

 それにしてもなんだか、体の芯のところで疲れた感じ。授業の準備しなきゃ。というわけで詳しい話は割愛。学会がある度に陥る気分(=しばらくひきこもりたい)にひたりつつ。

 神戸大学より望む神戸港。ええ天気でしたな。

*1:なんだかこの後ろ向きな書き方を読んで、「いや、おもしろかったってば」「興奮したんですけど」という反応を複数お寄せいただきまして、私ってば勝手に下を向いてすみません。いや、ここで書いたほどに卑下してないんですけどね、実際は。「発表後鬱」は私のデフォルトですので。