子供の熱は病院変えてなんとなく快方に。
- 作者: 遠藤徹
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 1999/12
- メディア: 単行本
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読みたいと思った動機は、この前ご本人にお会いして、すごく「イイカンジ」の人だった、というもの。遠藤さんは、作家でもあり批評家でもある。何というのか、ご本人の力の抜け方がイイカンジだったのである。
で、一冊も読んでいなかったので、早速大量注文。中でも、この本は、私自身カトリーヌ・マラブーの「プラティーク」論に関心を抱いていたこともあり、まず手をつける。
うーむ。面白い。「プラスチック」で、20世紀は全て語れてしまうわけだ。
20世紀後半から現在まで、バカなポストモダン多幸症は抜きにして、「プラスチックな/可塑的な自己」は重大なキーワードであった。問題は「自己の形成(セルフ・ファッショニング)」を通り越して、「自己のマネージメント」なのであり、その際に「プラスチックとしての自己」というイメージは最適なわけだ。おそらくこれを「身体性の消失」などというタームで捉えると大間違いで、「可塑的身体」は、それはそれでりっぱな「別の身体性」なのである。出発点はそこ。
ダイエット産業、英会話教室、新興宗教、すべて「明日には別の私」となれるような可塑的身体をマーケティング対象としている。と、いう卑近な現象をはるかに超えて、可塑的身体のイデオロギーはそれこそ骨の髄まで食い込んでいる(という言い方は形容矛盾だが。プラスチックな身体に骨の髄なんかないのだから)。
プラスチックというキーワードの射程は広い。著者も認めている通り、この本はそのとば口に立つものなわけだ。引き続き他の著作も読みたいがいつになることやら。