鉄道から自動車へ

 週末は山口からばあちゃんが。子供たちには至福のひととき。その後に残されるのは超甘えん坊になった二人。外からの刺激があると、かならず二段飛ばしの「発達」がみられるのは面白い。姉ちゃんはずんずん歩くようになり、二人とも口が達者に。

English Landscape in the Twentieth Century

English Landscape in the Twentieth Century

 9月にしゃべった話を論文化しようと思っており、鉄道から自動車へ、というシフトと風景との関連に一章設けてあるこれをチェック。

 全体的に概論風。まあ、全体像をつかむのには役立つ。しかし、こういう風景論って、有機体性のようなものに批判的な場合と、コテコテの有機体論そのものの場合があって、だいたいは後者。これは非常に平坦な語り口であるものの、どうちらかといえば後者ですな。

 数字上からも鉄道から自動車への本格的シフトが起こるのは戦間期から戦後にかけてである、ということを確認。あとは、大恐慌の際に鉄道会社が立ちゆかなくなる一方、失業者を道路建設の公共事業にかり出して雇用を創出したというのはなかなか象徴的(と同時に、ジェネラル・ストライキの結果、国民が鉄道なしでもやっていけると気づいた、という記述には悪意を感じつつも笑ってしまった)。

 時代は下っていまや純粋なイギリス資本の自動車会社はない(と、思う。確か。ジャガーもフォード傘下だし)ということに、時代の趨勢を感じるわけだ。