っ子

 休みになると案外書くことがなくなる。帰省から戻ってからはひたすら月末のシンポ準備と翻訳。

 そんな中ちょっと脱線して読んだのは、

Modern Classics Lonely Londoners (Penguin Modern Classics)

Modern Classics Lonely Londoners (Penguin Modern Classics)

 トリニダード出身(母はハーフ・スコティッシュらしい)のサム・セルヴォン1956年の作品。「ポストコロニアル文学」として読み始めたというより、1956年は例えば1922年や1932年のように、私にとってイギリス文化史を区切る節目に思え、さらに戦後イギリスの多民族化を象徴しつつ、「ロンドンを描いている」作家・作品ということで繙いた。事実、50年代は、1948年の国籍法によって移民に門戸が開かれ、1962年の移民法でそれが閉じられるまでの「移民の十年間」だったと言ってよい。

 期待を裏切らず面白い。登場人物が魅力的。ちょっとパトロナイジングだが移民コミュニティの駆け込み寺的存在の語り手Moses(もちろんモーセなんだろうが、『アニマル・ファーム』のモーゼズも頭をよぎる)、そして語り手を頼って移民してくる、冬の寒さを感じない特異体質(?)の(通称)Sir Galahad、ぐうたらヒモ生活のナイジェリア人Captain、などなど。これだけ魅力的な人物が揃っているのだから、もっと長い小説にして、人物を掘り下げてほしいとさえ思う(ペンギン版で140頁程度)。

 万が一これを翻訳するとしたら、どうしよう、と、よけいな心配をしながら読む。というのは、登場人物の台詞のみならず地の文も西インド諸島なまりの英語で書かれているため。本文はともかく、タイトルは『孤独なロンドン子』か。しかし、この「〜っ子」って、「江戸っ子」から来ているのか。出身者ということだからまずいな。「ロンドン市民」でもよいだろうが、ここは、最近の流行に従って、全てカタカナで『ロンリー・ロンドナーズ』か。なんだかまぬけ。

 途中、『ユリシーズ』ばりにピリオドなしの一文が10頁くらい続くところがあるが、内的独白というよりはモンタージュ的な語りが成立しており、面白い読書感であった。

 あと、登場人物たちは道に迷えばすぐにお巡りさんに道を聞いて、お巡りさんはみんな異様に親切なのだが、まあ「ロンドンのお巡りさん」といえば親切であることになっているのだけれども(私はロンドンでお巡りさんにお世話になったことはないが二人一組で暇そうにニコニコしながら歩いている印象はある)、どうなんだろうか(って、どうなんやねん)。

 ラストは少々センチメンタルながら感動的。感動した。(なんとも幼児的な感想。)