神聖喜劇

 先週を学会準備に、週末を学会に費やしたしわ寄せで、大変に忙しい一週間でござった。睡眠時間不足が続いて、今日はもうヘロヘロ。翻訳ゲラがあるのだが明日以降にまわして、これ。

神聖喜劇 (第1巻)

神聖喜劇 (第1巻)

 単行本は現在第二巻まで出てます。まあ、とにかく、よくマンガにしようなどと思ったものだ。『神聖喜劇』という怪物的小説が、マンガという媒体に親和性があるのかしらん? と、いやな予感を抱きながら頁を開いたら、そうか、そう来るわけね。つまり、「異常に台詞の長いマンガ」という選択をしたわけです。「ネームは短く!」がマンガ作法の鉄則である中、それを表現上の要請として正々堂々と破ったのは、このマンガと、あとは『DEATH NOTE』くらいか。

 『神聖喜劇』は、「法」に関する実験という側面があって、主人公の東堂は飛び抜けた記憶力と論理性という点で、血肉を備えた人間であるよりは「理性」の体現である。軍隊(それは「地方」と地続きなわけだけど)における法の不条理と、「理性」とが対立した際に何が起きるか。それを楽しむ上で、小説ではなくマンガにすることにどのようなメリットがあるのかといえば、特にない、というか、正直文字で読んだ方がそういう楽しみは強いのだが。まあ、マンガにすることでアクセシビリティが高まるということを評価すればよいのだろうか。