反復について

 本日は「フレッシュマンキャンプ」。本来は一泊なのだが、明日授業があるので日帰り。

 自分のブログの記述に触発されて、マニュエル・ゲッチング『E2-E4 LIVE』を入手。アマゾンには登録されていないので、ジャケットの写真だけ。

 これは、やはり、いい。

 さすがに時間は20分程度に短縮されているが、楽器編成自体が変更されていて、ストリングスが前面に出ている。これを聴きながら、ミニマリズムの心地よさというのは、一種のプリミティヴィズムなのだと気づく。プリミティヴィズムというか、このアルバムの場合、ジプシー音楽的な反復の心地よさ。それを言ったら、反復を伴わない音楽はない(あるかな?)のだ。ただし反復と変化は相補的な関係にある。例えば「ド」の四分の一音符を延々くり返しても、人はそれを「反復」とはとらえないだろう。「咲いた、咲いた、チューリップの花が/咲いた、咲いた、あかしろきいろ」と、変更を加えられながらくり返された時に(歌詞じゃなく、音程の話)、初めてそれは音楽的に意味ある反復として認識される。ミニマリズムの何がミニマルなのかと言えば、楽器や音の数ではなく、この反復を担保する変化がミニマルなのだ。

 かように、変化が反復を担保するというのは、音楽に限らないのではないだろうか。代表的なのは歴史とか。「歴史は繰り返す、ただし……」。